この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。(ヨハネの福音書1章4節―5節)
1.イザヤ書8章22節−9章7節
2.使徒の働き26章9節ー19節
3.コロサイ人への手紙1章3節ー14節
4.ペテロの手紙第一1章23節ー2章12節
パウロは「あなたがたは自分の罪禍と罪との中に死んでいた者であって、そのころは、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者として今も不従順の子らの中に働いている霊に従って、歩んでいました。(エペソ人への手紙2章1節―2節)」と、人キリスト者になる前は世全体を支配している悪魔の支配下にあり、罪禍や罪のゆえに永遠の死に向かって生きている事を語っていますが、神はそのような状態から人類を救うために御子イエス様をマリヤの胎に聖霊によて宿らせ、人としてこの世にお遣わしになられ、十字架の死をもって罪の代価を支払ってくださり、復活をもって死の力を持つ悪魔の働きと悪魔を滅ぼされたのでした。ですから今日の聖句は「この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。」と、この方、すなわちイエス様の勝利を宣言しているのです。ですから、イエス様を神の御子と認めて信じるなら、全生涯の罪が赦されるだけでなく取り除かれ、永遠のいのちが、神の子としての特権が与えられているだけでなく、イエス様は「あなたがわたしを世に遣わされたように、わたしも彼らを世に遣わしました。(ヨハネの福音書17章18節)」と、キリスト者はイエス様によって世の塩、世の光(マタイの福音書5章13節―14節)として遣わされているのです。世の光として輝くためにいのちのことばであるみことばをしっかり握り(ピリピ人への手紙2章16節)、人の光であるキリストの栄光を反映させるために、いつも死に、悪魔にやみに勝利されたキリストのことを思って生活しようではありませんか。