あなたがたはわたしの羊、わたしの牧場の羊である。あなたがたは人で、わたしはあなたがたの神である。―神である主の御告げー(エゼキエル書34章31節)
1.詩篇23篇1節ー6節
2.ヨハネの福音書2章23節ー25節
3.ヨハネの福音書10章7節ー16節
4.コリント人への手紙第一6章19節−20節
エレミヤ書9章23節―24節に「主はこう仰せられる。『知恵ある者は自分の知恵を誇るな。つわものは自分の強さを誇るな。富む者は自分の富を誇るな。誇る者は、ただ、これを誇れ。悟りを得て、わたしを知っていることを。わたしは主であって、地に恵みと公義と正義を行う者であり、わたしがこれらのことを喜ぶからだ。―主の御告げー』」と、主の願いは、何よりも主を知ることであることを語っています。パウロの「さて兄弟たち。私があなたがたのところへ行ったとき、私は、すぐれたことば、すぐれた知恵を用いて、神のあかしを宣べ伝えることはしませんでした。なぜなら私は、あなたがたの間で、イエス・キリスト、すなわち十字架につけられた方のほかは、何もしらないことに決心したからです。あなたがといっしょにいたときの私は、弱く、恐れおののいていました。そして、私のことばと私の宣教とは、説得力のある知恵にことばによって行われたものではなく、御霊と御力の現れでした。それは、あなたがたの持つ信仰が、人間の知恵にささえられず、神の力にささえられるためでした。(コリント人への手紙第一2章1節―5節)」と、「神を愛する人々、すなわち、神の御計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。(ローマ人への手紙8章28節)」ということばに、神を知る者として生きられた姿を見ることができるのではないでしょうか。イエス様は異邦人、すなわち神をご存知ない人々と同じような祈りをしないように仰せられてから、その理由として「あなたがたの父なる神は、あなたがたがお願いする先に、あなたがたに必要なものを知っておられるからです。(マタイの福音書6章8節)」と仰せられました。ダビデは「主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。」と告白しています。今日の聖句「あなたがたはわたしの羊、わたしの牧場の羊である。あなたがたは人で、わたしはあなたがたの神である。―神である主の御告」を、実生活においてパウロのように主を知る者として生きるために、今日の聖句「あなたがたはわたしの羊、わたしの牧場の羊である。あなたがたは人で、わたしはあなたがたの神である。―神である主の御告げー」を心に据えて、主のものとされていること、主の主権を認めて生きるようにしようではありませんか。