割礼を受けているか受けていないかは、大事なことではありません。大事なのは新しい創造です。(ガラテヤ人への手紙6章15節)

1.ヨハネの福音書31節ー7
2.コリント人への手紙第二5章17節ー18節
3.エペソ人への手紙21節―10
4.コロサイ人への手紙28節―14

イエス様はニコデモに新しく生まれ変わる必要性を語られましたが、それは死後の問題ではなく、生きている状態の中にあっての生まれ変わりであり、「人は何度も生死を繰り返して新しい生命に生まれ変わる」と説いている「輪廻転生」とは大きく違います。十年以上前になりますが、タイで宣教されておられる日本人の宣教師ご夫妻にタイのパタヤでお会いしたことがありました。その時、タイの方がキリスト者になるきっかけをお尋ねたしたところ、「それは、輪廻転生です。彼らは亡くなった後何億回も生まれ変わり続けるために、今は人として生きていても死後、また人になれるかどうか不安や恐れがあるためです。」とお話ししてくださいました。輪廻転生の本質を知らなくても、不思議に、人はよく「今度生まれたら・・・」と、時にはキリスト者であっても無意識のうちに、この世に自分が生まれて来るようなことを言ってしまうことがあるのではないでしょうか。パウロは「あのむなしいだましごとの哲学によってだれのとりこにもならぬよう、注意しなさい。それは人の言い伝えによりもの、この世の幼稚な教えによるものであって、キリストによるものではありません。(コロサイ人への手紙2章8節)」と警告しています。今日の聖句は「割礼を受けているか受けていないかは、大事なことではありません。大事なのは新しい創造です。」と語っていますが、新しい創造は、エペソ人への手紙2章10節やコリント人への手紙第二5章17節が語っているようにキリスト・イエスによるものであり、ヘブル人への手紙9章27節は「人間には一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている。」と語っていますが、キリスト者はすでに新しく創造っされたものであり、死後神のさばきに会うことなく、永遠のいのちが与えられていることを心にしっかり植えつけて、背後に悪しき者の力が働いているこの世や人の知恵や仏陀(釈迦)をはじめとするさまざまなの思想に影響されないように、みことばの真理を握って生きようではありませんか。