神はあらかじめ定めた人々をさらに召し、召した人々をさらに義と認め、義と認めた人々にはさらに栄光をお与えになりました。(ローマ人への手紙8章30節)

1.イザヤ書431節―7
2.コリント人への手紙第一2章1節ー7節
3.ピリピ人への手紙317節―21
4.ヘブル人への手紙25節―10

イエス様は弟子たちに「あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。(ヨハネの福音書15章16節)」と仰せられたように、パリサイ人として生きていた時のパウロは、祭司長から与えられた権限を行使してキリスト者を迫害していたので、イエス様がアナニヤにパウロを訪ねるように仰せられると、アナニヤはパウロがキリスト者を迫害していることを聞いていることを主に申し上げたのですが、イエス様が「行きなさい。あの人はわたしの名を、異邦人、王たち、イスラエルの子孫の前に運ぶ、わたしの選びの器です。彼がわたしの名のために、どんなに苦しまなければならないかを、わたしは彼に示すつもりです。(使徒の働き9章1節―16節9)と仰せられたので、アナニヤはパウロを訪ねてバプテスマを授けたのでした。イエス様は弟子たちに「あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。(ヨハネの福音書15章16節)」と仰せられたように、教会を迫害していたにもかかわらず、パウロは使徒とされたのでした(ガラテヤ人への手紙1章1節)。そのパウロが「神はあらかじめ定めた人々をさらに召し、召した人々をさらに義と認め、義と認めた人々にはさらに栄光をお与えになりました。」と語っているように、キリスト者は神に召された者であり、キリストのゆえに、神が義と認めてくださるださっているだけでなく、神の御前で恥となってしまうような栄光ではなく(ピリピ人への手紙3章19節)、神から栄光が与えられることを語っていますが、それはすべて恵みによるものであることを心に据えて、御子をお遣わしくださった神をほめたたえると共に、信仰の完成者であり、恵みとまことを実現してくださったイエス様のことをいつも思って生きようではありませんか。