義の実を結ばせる種は、平和をつくる人によって平和のうちに蒔かれます。(ヤコブの手紙318節)

1.イザヤ書3216節―18
2.ヨハネの福音書154節―8
3.ローマ人への手紙3章23節ー26節
4.ヘブル人への手紙12章2節―11節

種にはさまざまな種類があり、蒔いた種によってその実も様々ですが、それは植物に限らず、「悩みの種」ということばが意味するように、人々の生活におけるさまざまな原因をも意味するのではないでしょうか。今日の聖句は「義の実を結ばせる種は、平和をつくる人によって平和のうちに蒔かれます。」と語っています。イエス様はパリサイ人や律法学者「義」について、パウロは「私には、キリストを得、また、キリストの中にある者と認められ、律法による自分の義ではなくて、キリストを信じる信仰による義、すなわち、信仰に基づいて、神から与えられる義を持つことができる、という望みがあるからです。(ピリピ人への手紙3章8節―9節)」と、「自分の義」と「神の義」の二種類があることを語っています。ところで、ルカの福音書18章9節が「自分を義人だと自任し、他の人々を見下している者たちに対しては、イエスはこのようにたとえを話された。」と、語っているように、ピラトが祭司長、長老たちがねたみからイエス様を引き渡したことに気づいたように(マタイの福音書27章18節)」、自分の義は、高ぶりやねたみ、争いや戦いという実をもたらすのではないでしょうか。このところアフガニスタンの状況が報道されています。タリバンは自分たちの義を主張し、平和を約束しながらも、女性の人権を認めるようなことを約束しながらも、それはイスラム法に則ってのものであると言い、すでに前政権に属していた人々やジャーナリストをすでに殺害していることも報道されています。一方、神の義は十字架のイエス様によって明らかにされたように罪人を救う力があるものであり、神の義が与えられているキリスト者が義の実を結ぶためには神はキリスト者を訓練されることをヘブル人への手紙12章4節―11節は語っています。平和の君であるイエス様にある者として、恵みを無駄にしないように、イエス様が「パリサイ人やサドカイ人のパン種、ヘロデのパン種に十分気をつけなさい。(マタイの福音書16章11節―12節、マルコの福音書8章15節、ルカの福音書11章)」と仰せられたように、この世の教えやこの世や人のことばよりも主の教えであるみことばで生きることができるように、信仰の創始者であり完成者であるイエス様を仰ぎ見て生きようではありませんか。