主を恐れよ。その聖徒たち。彼を恐れる者には乏しいことがない。(詩篇349節)

1.詩篇231節―6
2.ローマ人への手紙828節―32
3.エペソ人への手紙1章1節―3
4.ピリピ人への手紙4章9節―13節

神から「あなたに何を与えようか。願え。」と尋ねられたソロモンは、その時、主を愛していたので、「善悪を判断してあなたの民をさばくために聞き分ける心をしもべに与えてください。さもなければ、だれに、このおびただしいあなたの民をさばくことができるでしょうか。」と申し上げると、ソロモンが自分のために長寿を求めず、自分のために富を求めず、敵のいのちを求めなかったので、主は、知恵の心と判断する心を与えられただけでなく、彼が願わなかった富や誉をも与えることを約束されたのでしたが、彼は「人の子が短い一生の間、天の下でする事について、何が良いかを見るまでは、愚かさを身につけていようと考えた。(伝道者の書2章3節)」と、主を考慮しない世の人々に同調し、ソロモンを訪れたシェバの女王が驚嘆するほどの知恵やこの世の富に富んでいましたが、心はむなしかったために「空の空。すべては空。(伝道者の書1章2節)」と、この世が与えることができるのはむなしさ以外のなにものでもないことを結論づけるとともに、今日の聖句が「主を恐れよ。その聖徒たち。」と語っているように「結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。(伝道者の書12章13節)」と、神を恐れる、とは神がどんなに偉大な方であるかを認めることであり、みことばで生きることこそ人が生きるべき道である、という最終結論を出されました。今日の聖句は「主を恐れる者には乏しいことがない。」とも語っています。イエス様はスミルナの教会に「わたしは、あなたの苦しみと貧しさとを知っている。―しかしあなたは実際には富んでいるー」と仰せられました。罪を誘発する欲に支配されないように、満ち足りた心をともなう敬虔さに生きるために(テモテへの手紙第一6章6節)、主は私たちの必要をご存知であることを忘れずに(マタイの福音書6章8節)、エペソ人への手紙1章3節が「私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神はキリストにあって、天にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。」と勧めているように主をほめたたえようではありませんか。