あなたの重荷を主にゆだねよ。主は、あなたのことを心配してくださる。主は決して、正しい者がゆるがされるようにはなさらない。(詩篇55篇22節)
1.詩篇68篇19節―20節
2.マタイの福音書11章28節―30節
3.ピリピ人への手紙3章2節ー15節
4.ペテロの手紙第一5章7節―11節
今日の聖句の冒頭に「指揮者のために、弦楽器に合わせて。ダビデのマスキール。」とあります。ルターはマスキールを「教示する歌」「教える歌」と訳されたそうです。ダビデは「神よ、私の祈りを耳に入れ、私の切なる願いから、身を隠さないでください。私に御心を留め、私に答えてください。私は苦しんで、心にうめき、泣きわめいています(1節―2節)。私が、神に呼ばわると、主は私を救ってくださる。夕、朝、真昼、私は嘆き、うめく。すると、主は私の声を聞いてくださる。(16節―17節)」と、神である主に心を向けてはいますが、「主をほめたたえる。」ということばがなく、一日中、嘆いたりうめいたりすることしかできないほどの苦しみの中で「あなたの重荷を主にゆだねよ。」と勧めてから「主は、あなたのことを心配してくださる。主は決して、正しい者がゆるがされるようにはなさらない。」と語っています。ヘブル人への手紙11章で旧約聖書の時代の信仰者がどのように生きていたかを述べてから「こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、いっさいの重荷とまとわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競争を忍耐をもって走りつづけようではありませんか。信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。(ヘブル人への手紙12章1節―2節)」と勧めています。信仰をなえさせる要素に、重荷、すなわち過去の過ちや将来に対する恐れや思い煩いなどがありますが、十字架によって全生涯の罪が赦されていることを感謝し、パウロが「ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。(ピリピ人への手紙3章13節―14節)」と語っているように、過去にとらわれないようにすとともに、将来も主の御手の中にあることを心に据えて、恵みとまことを実現され、日々重荷を負ってくださり、すべてのことを益としてくださり信仰を完成してくださるイエス様から目を離さずに、恵みの中にとどまるようにしようではありませんか。