何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です。私たちの願う事を神が聞いてくださると知れば、神に願ったその事はすでにかなえられたと知るのです。(ヨハネの手紙第一5章14 節―15節)

1.列王記第一33節―14
2.ヨハネの福音書157節―8
3.コリント人への手紙第一27節―12
4.テモテへの手紙第二3章16節ー17節

今日の聖句は「何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です。私たちの願う事を神が聞いてくださると知れば、神に願ったその事はすでにかなえられたと知るのです。」と、私たちが願ったことを神はお聞きくださるだけでなく、その願いをかなえてくださるという信仰に生きることを奨励していますが、そのためにはその願いが神のみこころにかなっているかどうかに関わっていることをも語っています。ヤコブの手紙4章3節―4節は「願っても受けられないのは、自分の快楽のために使おうとして、悪い動機で願うからです。貞操のない人たち。世を愛することは神に敵することであることがわからないのですか。世の友となりたいと思ったら、その人は自分を神の敵としているのです。」と、聖霊を持っておられない世の人々と同じような動機、すなわち肉の欲を満たそうとするような動機で願うはかなえられないことをかたっていますが、それはキリスト者を守るためでもあるのではないでしょうか。イエス様はご自身を一粒の麦にたとえて「一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。」と言われてから「今わたしの心は騒いでいる。何と言おうか。『父よ。この時からわたしをお救いください』と言おうか。いや。このためにこそ、わたしはこの時に至ったのです。父よ。御名の栄光をあらわしてください。」と、またゲッセマネで「あば、父よ。あなたにおできにならないことはありません。どうぞ、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願うことではなく、あなたのみこころのままを、なさってください。(マルコの福音書14章36節)」ともだえ苦しみながらご自身の願いではなく神のみこころがなされるようにねがったのでした。神のみこころにそった願いをするときには苦しみがともなうことがあることを教えてくださっているのではないでしょうか。人々の救いのために祈る祈りは神の願いにそったものであっても、すぐにその結果が見られないことがありますが、主の時を待ち望んでいのることによって忍耐が培われ、やがて神の栄光を見ることになるのではないでしょうか。ソロモンは神のみこころにかなった願いをささげて聞き入れられましたが、その秘訣は主を愛していたことにあるのではないでしょうか。神のみこころにかなった願いがささげられるように主を愛し、御霊によって書かれた聖書のみことばにそった願いをするようにしようではありませんか。