今の時のいろいろの苦しみは、将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、取るに足らないものと私は考えます。(ローマ人への手紙8章18節)

1.コリント人への手紙第二415節―18
2.ヘブル人への手紙5章7節ー10節及12章2節ー3節
3.ピリピ人への手紙2章6節ー11節
4.ペテロの手紙第一1章3節―7節

キリスト者を迫害していたパウロを尋ねるように主から言われたアナニヤが、パウロがキリスト者にひどいことをしていることを申し上げると、主は「行きなさい。あの人はわたしの名を、異邦人、王たち、イスラエルの子孫の前に運ぶ、わたしの選びの器です。彼がわたしの名のために、どんなに苦しまなければならないかを、わたしは彼に示すつもりです。」と仰せられました。キリスト者となったパウロは同胞のユダヤ人たちから迫害を受けただけでなく、キリスト者からも非難されて苦悩するような経験をしましたが(コリント人への手紙第二11章16節―28節)、「私がキリストを見ならっているように、あなたがたも私を見ならってください。(コリント人への手紙第一11章1節)」「神の恵みをむだに受けないようにしてください。(コリント人への手紙第二6章1節―10節)」「私の福音の言うとおり、ダビデの子孫として生まれ、死者の中からよみがえったイエス・キリストをいつも思っていなさい。(テモテへの手紙第二2章8 節)」と、多くの苦しみの中にあっても、恵みを実現するためにイエス様がどのように歩まれたかをしっかりと心に刻み込んで、キリストのしもべとして生きられたパウロが「今の時のいろいろの苦しみは、将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、取るに足らないものと私は考えます。」と語っていますが、その根底には十字架によって実現した恵みと復活によって現された主の栄光だけでなく、やがて自分も主と同じ栄光にあずかることを知っておられたからではないでしょうか。神は真実な方で、耐えられないほどの試練に会わせることをなさらないどころか(コリント人への手紙第一10章13節)、ペテロは「永遠の栄光の中に招き入れてくださった神ご自身がしばらくの苦しみのあとで完全にし、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます。」と、苦しみにも目的があることを語っています。自分では耐えられないと思っても、主の方が私たちのことをよくご存知であることを自覚するとともに永遠の栄光の中に生かされていることを感謝し、パウロのように恵みをむだにしないように国籍が天にあることをわきまえて生きようではありませんか。