この宮のこれから後の栄光は、先のものよりまさろう。万軍の主は仰せられる。わたしはまた、この所に平和を与えるー主の御告げー(ハガイ書2章9節)

1.マタイの福音書624節−33
2.コリント人への手紙第一619節―20
3.コリント人への手紙第二36節―18
4.ペテロの手紙第一5章7節ー11節

バビロンの捕囚からエルサレムに帰還した人々はゼブラベルや大祭司ヨシュア、レビ人の一族らとともに神殿再建のために神殿の礎を据えた時、彼らは「主はいつくしみ深い。その恵みはとこしえまでもイスラエルに」と感謝しながら主を賛美して大声で喜び叫んだのですが、祭司、レビ人、一族のかしらたちのうち、最初の宮をみたことのある多くの老人たちは大声をあげて泣いたのですが(エズラ記8章8節―12節)、主は預言者ハガイを遣わされ「あなたがたのうち、以前の栄光に輝くこの宮を見たことのある、生き残った者はだれか。あなたがたは、今、これをどう見ているのか。あなたがたの目には、まるで無に等しいのではないか。しかし、ゼルバベルよ、今、強くあれ。―主の御告げーエホツアダクの子、大祭司ヨシュアよ。強くあれ。この国のすべての民よ、強くあれ。―主の御告げー仕事にとりかかれ。わたしがあなたがたとともにいるからだ。ー万軍の主の御告げーあなたがたがエジプトを出て来たとき、わたしがあなたがたと結んだ約束により、わたしの霊があなたがたの間で働いている。(ハガイ書2章3節―5節)」と、目に見えるものよりも霊の働きに心を向けるように仰せられてから、「この宮のこれから後の栄光は、先のものよりまさろう。万軍の主は仰せられる。わたしはまた、この所に平和を与えるー主の御告げー」とソロモンが神殿を建てたとき、祭司たちが主の契約の箱を至聖所において聖所から出て来ると、主は雲をもって主の栄光を現されましたが、そのような栄光にまさる栄光を現されること、平和を与えることを約束されたのでした。イエス様はご自身を一粒の麦にたとえられてから「今、わたしの心は騒いでいる、何と言おうか。『父よ。この時からわたしをお救いください。』と言おうか。いや。このたけにこそ、わたしはこの時に至ったのです。父よ。御名の栄光を現してください。」と父に申し上げると、天から声があり「わたしは栄光をすでに現したし、またもう一度栄光を現そう。」と約束されたのでしたが(ヨハネの福音書12章24節及び27節―28節)それは、イエス様が「この神殿をこわしてみなさい。わたしは、三日でそれを建てよう。」と仰せられたように十字架の死と復活を意味されたのではないでしょうか(ヨハネの福音書2章19節―21節)。ソロモンは「『どうして、昔のほうが今より良かったのか』と言ってはならない。このような問いは、知恵によるのではない。(伝道者の書7章10節)」と助言しています。イエス様を信じたことによってキリスト者は聖霊の宮とされ、永遠の栄光の中に招き入れられていることを心に据えて、パウロが「うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、キリスト・イエスにおいて上に召してくだる神の栄冠を得るために、目標を目指して一心に走っているのです。ですから、成人である者はみな、このような考え方をしましょう。」と勧めているように、御霊なる主のお働きによって主の栄光を反映させながら栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられることを感謝しながら、信仰の完成者であるイエス様を仰ぎ見て、御国を目指して生きようではありませんか。