聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです。(テモテへの手紙第二3章16節―17節)

1.詩篇1830節―34
2.使徒の働き2029節―32
3.ヘブル人への手紙122節―11
4.ペテロの手紙第一210節―12

今日の聖句は「聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです。」と、聖書がどのようなものであり、どのような働きをするかを、そしてその目的が何であるかを語っています。パウロはキリスト者になる前の状態を「あなたがたは自分の罪過と罪との中に死んでいた者であって、そのころは、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配はとして今も不従順の子らの中に働いている霊に従って、歩んでいました。私たちもみな、かつては不従順の子らの中にあって、自分の肉の欲の中に生き、肉と心の望むままを行い、ほかの人たちと同じように、生まれながら御怒りを受けるべき子らでした。」と、語るとともにそのような状態から救い出すために神は御子イエス様をお遣わしになっただけでなく「私たちは神の作品であって、良い行いをするために、キリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行いに歩むように、その良い行いをもあらかじめ備えてくださったのです。」と、神が備えておられる良い行いがあることを語っています(エペソ人への手紙2章1節―10節)。神は良いお方であり、その良いお方に似た者として人は創造されましたから、人は良い行いをしたいと願いますが、はじめは純粋な思いで始めても、肉の思いに支配され、自己満足や人の評判を得るためのものにすり替わってしまう可能性があるのではないでしょうか。キリスト者はこの世から贖いだされていますが、この世に生きている限り世の影響を受けて自分に生きてしまうことが多々あるのではないでしょうか。パウロはコリントの教会の聖徒たちについて「私は、キリスト。イエスによってあなたがたに与えられた神の恵みのゆえに、ああたがたのことをいつも神に感謝しています。(コリント人への手紙第一1章4節)」と語っていますが、「『私はパウロにつく』と言えば別の人は、『私はアポロに』と言う。そういうことでは、あなたがたはただの人たちではありませんか。」と、「私」に生きるなら世の人々と変わらないのではないかと語っています(コリント人への手紙第一3章3節―4節)。国籍が天にあることを忘れずに、この世や人のことば、自分の思いや感情に振り回されないように、肉の欲や肉の思いに勝利するために、神のことばである聖書に書かれているいのちのことば、恵みのみことばをしっかり握って、主がご用意くださっている良い行いをもって主の栄光を現すことができるように助け主である聖霊様に助けていただこうではありませんか(ガラテヤ人への手紙5章16節)。