今、ヤコブよ。あなたを造り出した方、主はこう仰せられる。イスラエルよ。あなたを形造った方、主はこう仰せられる。「恐るな。わたしがあなたを贖ったのだ。わたしはあなたの名を呼んだ。あなたはわたしのもの。」(イザヤ書43章1節)

1.コリント人への手紙第二517節―18
2.エペソ人への手紙13節−7節
3.エペソ人への手紙2章1節−10節
4.エペソ人への手紙4章17節−30節

今日の聖句は「今、ヤコブよ。あなたを造り出した方、主はこう仰せられる。イスラエルよ。あなたを形造った方、主はこう仰せられる。」と、まず、ヤコブに対しては造り出した方、イスラエルに対しては形造った方、と語ってから「恐るな。わたしがあなたを贖ったのだ。わたしはあなたの名を呼んだ。あなたはわたしのもの。」と語っています。ヤコブはイサクとリベカの間に双子の弟として生まれましたが、兄エサウのかかとをつかんでいたので、ヤコブと名付けられました(創世記25章26節)。イサクが老人になって視力が衰えたとき、ヤコブは兄エサウを装ってエサウに与えられるべき祝福を横取りしてしまったのを知ったエサウは「彼がヤコブというのも、このためか。二度までも私を押しのけてしまって。私の長子の権利を奪い取り、今また、私の祝福を横取りしてしまった。(創世記27章36節)」と、ヤコブの名前にふれています。ヤコブの意味は人を出し抜く者、だます、などの意味があります。ヤコブはエサウを出し抜いてからラバンのもとに逃亡しましたが、家族を持ち財を築いてからエサウと和解するために故郷に帰る途上で、ある人と夜明けまで格闘しているうちにもものつがいがはずれたにもかかわらず、その人が「わたしを去らせよ。夜が開けるから。」と言っても「私はあなたを去らせません。私を祝福してくださらなければ。」と言うと、その人は「あなたの名は、もうヤコブとは呼ばれない。イスラエルだ。あなたは神と戦い、人と戦って、勝ったからだ。」と言ったので、ヤコブが「どうかあなたの名を教えてください。」と尋ねると、その人は「いったい、なぜあなたはわたしの名を尋ねるのか」と言ってその場でヤコブを祝福したので、その所を「私は顔と顔を合わせて神を見たのに、私のいのちは救われた。」と言う意味を持つ「ペヌエル」と呼びましたが、偶像を取り除き、身をきよめ、祭壇を築いたヤコブに神は再び現れ、祝福して「あなたの名はヤコブであるが、あなたの名は、もうヤコブと呼んではならない。あなたの名はイスラエルでなければならない。」と仰せられたのでした。イスラエルには「神は勝利される。神が支配される」という意味があります。パウロが「あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。あながたは代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現しなさい。(コリント人への手紙第一6章19節―20節)」と勧めているように、罪や死、神の怒りから贖われていることを、イスラエルの民と同じ立場が与えられていることを心に据えて古い自分を脱ぎ捨てて主のものとされていることを自覚し、主の栄光を現すために、いのちのことばをしっかり握って生きようではありませんか(ピリピ人への手紙2章14節―16節)。