信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。(ヘブル人への手紙111節)

1.ルカの福音書7章1節―10
2.ルカの福音書1838節―43
3.ヤコブの手紙120節―27
4.ヤコブの手紙2章14節―26節

多くの医者にかかり、自分の持ち物をみな使い果たしたにもかかわらず、何のかいもなく悪くなる一方であった十二年の間長血をわずらっていた女性は、イエス様のことを聞いて「お着物にさわることでもできれば、きっと直る」と考えて群衆の中に紛れ込んでうしろからイエス様の着物にさわると、すぐに血の源がかれて、ひどい痛みが直ったのを感じたので、彼女は「だれがわたしにさわったのか」と言われたイエス様に自分の身に起こったことをイエス様に真実を余すところなく打ち明けると、イエス様は彼女に「娘よ。あなたの信仰があなたを直したのです。安心して帰りなさい。病気にかからず、すこやかでいなさい。」と仰せられました(マルコの福音書5章25節−34節)。「あなたの信仰が」とイエス様は言われましたが、それは、今日の聖句が「信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。」と語っているように、彼女がイエス様を信じて行動されたからではないでしょうか。ペテロは人々に「イエスの御名が、その御名を信じる信仰のゆえに、あなたがたが見ており知っているこの人を強くしたのです。イエスによって与えられる信仰が、この人を皆さんの目の前で完全なからだにしたのです。」と、生まれつき足のなえた人が癒されたのは、信仰によるものであり、そのような信仰はイエス様によって与えられるものであることを語っているように、キリスト者には信仰が与えられているだけでなく、ペテロに「シモン、シモン。見なさい。あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。(ルカの福音書22章31節)」と仰せられたように、とりなしていてくださるのです。ヤコブは「みことばを実行する人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者であってはいけません。(ヤコブの手紙1章22節)」と語るとともに、行いのない信仰がむなしいこと、アブラハムがイサクをささげたことを例にあげて、信仰は行いによって全うされると語っています(ヤコブの手紙2章20節―22節)。みことばを単に知っているだけでなく、今、与えられている信仰を感謝し、いのちのみことばをしっかり握って主が喜ばれるように行いをともなった信仰に歩もうではありませんか。