先に起こった事は、前からわたしが告げていた。それらはわたしの口から出、わたしはそれらを聞かせた。にわかに、わたしは行い、それは成就した。(イザヤ書48章3節)
1.イザヤ書55章8節―11節
2.エレミヤ書1章4節―12節
3.テモテへの手紙第一1章15節
4.テモテへの手紙第二2章13節
創世記1章3節に「神が仰せられた。『光があれ。』すると光があった。」とあってから人が誕生するまでのすべての被造物は、神の口から出たことばどおりに成就したのでした(創世記1章3節―30節)。神である主はエバを惑わした蛇、すなわち試みるものである悪魔に「わたしは、おまえと女との間に、また、おまえの子孫との間に敵意を置く。彼は、おまえの頭を砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく。」と、悪魔の敗北を宣言されたように〔創世記3章15節〕、神はマリアを用いられて御子イエス様を人としてこの世にお遣わしになり、十字架の死をもって悪魔という死の力を持つ者を滅ぼすだけでなく(ヘブル人への手紙3章14節)、悪魔の最大の武器である死を復活によって効力のないものとされたのでした。イエス様は「まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしの言葉を聞いて、わたしを遣わした方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきに会うことがなく、死からいのちに移っているのです。(ヨハネの福音書5章24節)」と仰せられました。主は真実な方であり、ご自身を否むことのできない方であり、今日のみことばが「先に起こった事は、前からわたしが告げていた。それらはわたしの口から出、わたしはそれらを聞かせた。にわかに、わたしは行い、それは成就した。」と語っているように、仰せられたことを成就することができる方です。みことばは必ず成就することを心に据えてパウロが「すべてのことを、つぶやかず、疑わずに行いなさい。それは、あなたがたが、非難されるところのない純粋な者となり、また、曲がった邪悪な世代の中にあって傷のない神の子どもとなり、いのちのことばをしっかり握って、彼らの間で世の光として輝くためです。(ピリピ人への手紙2章14 節―16節)」と勧めているように、みことばの約束を握って生きるようにしようではありませんか。