心のきよい者は幸いです。その人たちは神を見るからです。(マタイの福音書5章8節)

1.ヨハネの福音書31節―7
2.エペソ人への手紙1章3節ー7節
3.ヘブル人への手紙1214節―15
4.ヨハネの手紙 第一3章2節―3節

今日の聖句は「心のきよい者は幸いです。その人たちは神を見るからです。」と、神を見ることができる人は心のきよい者、と語っていますが、エレミヤ書17章9節−10節は「人の心は何よりも陰険で、それは直らない。だれが、それを知ることができよう。わたし、主が心を探り、思いを調べ、それぞれの生き方により、行いの結ぶ実によって報いる」と、ヘブル人への手紙10章20節―22節が「私たちには、神の家をつかさどる、この偉大な祭司があります。そのようなわけで、私たちは、心に血の注ぎを受けて邪悪な良心をきよめられ、からだをきよい水で洗われたのですから、全き信仰をもって、真心から神に近づこうではありませんか。」と、良心が邪悪ということは、誰一人として神を見ることはできないという絶望状態にあったのですが、十字架の血によって良心がきよめられ神に近づく、すなわち神を見ることができる状態に変えられたことを語っています。しかも、神から恵みをいただいたパウロは「私は神の福音をもって、祭司の務めを果たしています。それは異邦人を、聖霊によって聖なるものとされた、神に受け入れられる供え物とするためです。(ローマ人への手紙15章16節)」と、ユダヤ人でなくてもイエス様を信じるなら聖霊によって聖なる者とされ、この世を去って天に召されてからだけでなく、すでにこの世にあって神を見て生きることができることを可能にした恵みから落ちることがないようにしようではありませんか(ヘブル人への手紙12章14節―15節)。