目をさまして、感謝をもって、たゆみなく祈りなさい。(コロサイ人への手紙4章2節)

1.ローマ人への手紙1311節―14
2.ピリピ人への手紙46節―7
3.テサロニケへの手紙第一515節―18
4.ペテロの手紙第一57節―11

弟子からこの世の終わりについて問われたイエス様は世の終わりの前兆がどのようなものかを、「人々は、人の子が力と輝かしい栄光を帯びて雲に乗ってくるのを見るのです。」とご自身の再臨について語られてから、「あなたがたの心が、放蕩や深酒やこの世の煩いのために沈み込んでいるところに、その日がわなのように、突然あなたがたに臨むことのないように、よく気をつけていなさい。その日は、全地の表に住むすべての人に臨むからです。しかし、あなたがたは、やがて起ころうとしているこれらすべてのことからのがれ、人の子の前に立つことができるように、いつも油断せずに(口語訳:絶えず目をさまして)祈っていなさい。」と(ルカの福音書21章5節―36節)、またゲッセマネの園で、イエス様は悲しみもだえながら「わたしは悲しみのあまり死ぬほどです。ここを離れないで、わたしといっしょに目をさましていなさい。」と、ペテロとゼべダイの子ふたり、すなわちヨハネとヤコブに仰せられてから「この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願うようにではなく、あなたのみこころのように、なさってください。」と祈られてから弟子たちのところに戻って見ると、弟子たちが眠っていたので、「あなたはペテロです。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。(マタイの福音書16章18節)」と、教会の基礎となると言われたペテロに「あなたがたは一時間でも、わたしといっしょに目をさましていることができなかったのか。誘惑に陥られないように、目をさまして、祈っていなさい。心は燃えていても、肉体は弱いのです。」と、再度目をさまして祈るべきことを話されました。それは、キリスト者の共同体である教会が、目をさまして祈るべきことを教えられたのではないでしょうか。ペテロは「身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、食い尽くすべきものを探し求めながら、歩き回っています。堅く信仰に立って、この悪魔に立ち向かいなさい。(ペテロの手紙第一5章8節―9節)」と勧めています。悪魔の試みや策略に陥らないように「目をさまして、感謝をもって、たゆみなく祈りなさい。」と勧めている今日の聖句を心に据えて、永遠のいのちが与えられていることを感謝するとともに、コロナの収束だけでなく、人々の救いのために祈り続けようではありませんか。