わたしはあなたと永遠の契りを結ぶ。正義と公義と、恵みとあわれみをもって、契りを結ぶ。わたしは真実をもってあなたと契りを結ぶ。そのとき、あなたは主を知ろう。(ホセア書2章19節)
1.サムエル記第二7章8節―16節
2.ヨハネの福音書1章14節ー18節
3.ローマ人への手紙11章25節―12章1節
4.テモテへの手紙第二2章1節ー 13節
今日の聖句は「わたしはあなたと永遠の契りを結ぶ。正義と公義と、恵みとあわれみをもって、契りを結ぶ。」と、神は永遠に存在する方であるために神の契り、すなわち神の約束は永遠に有効であること、また、神がどのような方であるかを語っています。私は刑事物が好きですが、それは犯人が捕まり正義が勝つからです。ところで、箴言3章8節―9節が「さばきの座に着く王は、自分の目ですべての悪をふるい分ける。だれが『私は自分の心をきよめた。私は罪からきよめられた』と言うことができよう。」と語っているように、もし神が恵みとあわれみを兼ね合わせておられなかったなら、だれひとり天国に入ることはできませんが、恵みとまことはイエス様によって実現したために(ヨハネの福音書1章17節)、教会を迫害していたにもかかわらず、恵みを体験し(コリント人への手紙第一15章10節)主を知ったパウロは「すべての人は罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。神は、キリスト・イエスを、その血による、また信仰による、なだめの供え物として、公にお示しになりました。それはご自身の義を現すためであり、こうして神ご自身が義であり、また、イエスを信じる者を義とお認めになるためなのです。(ローマ人への手紙3章23節―26節)」と、唯一キリストによってのみ神に受け入れられる存在となることを、また「罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たち主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。(ローマ人への手紙6章23節)」と永遠のいのちが与えられていることを語ったのでした。このところ十字架によって示された神の愛が、「人は根本的にはみんな良い人」というヒューマニズムを背景とする「受容」にすり替えられていますが、神は愛であり、恵みとあわれみに満ちておられる方ですが、恵みを放縦に変えてしまうようなことがないように(ユダの手紙4節)、正義なる方でありることをも忘れないようにしようではありませんか。