私は、自分に与えられた恵みによって、あなたがたひとりひとりに言います。だれでも、思うべき限度を越えて思い上がってはいけません。むしろ、神がおのおのに分け与えてくださった信仰の量りに応じて、慎み深い考え方をしなさい。(ローマ人への手紙12章3節)

1.ローマ人への手紙11章25節ー36節
2.コリント人への手紙 第一126節―31
3.コリント人への手紙 第一46節―19
4.テモテへの手紙 第一62節―6

パウロは「私は使徒の中で最も小さい者であって、使徒と呼ばれる価値のない者です。なぜなら、私は神の教会を迫害したからです。ところが、神の恵みによって、私は今の私になりました。そして、私に対するこの神の恵みは、むだにはならず、私はほかのすべての使徒たちよりも多く働きました。しかし、それは私ではなく、私にある神の恵みです。(コリント人への手紙 第一15章9節ー10節)」と、律法による自分の義に生きていた時には、キリストを信じる信仰によって神から与えられる義を知らずに(ピリピ人への手紙3章9節)キリスト者を迫害していたのですが、キリスト者となったパウロは、恵みに生きる者となり、自分を誇るような思い上がりから完全に解放されたのでした。この世の人々は人と比較して自分を誇ったり、卑下したりするような生き方をしているのではないでしょうか。パウロは今日の聖句の前句で「この世と調子を合わせてはいけません。」と、キリスト者が世の人々と同じように互いに比較し合うようなことをしないように勧めています。彼は「私は、自分に与えられた恵みによって、あなたがたひとりひとりに言います。だれでも、思うべき限度を越えて思い上がってはいけません。むしろ、神がおのおのに分け与えてくださった信仰の量りに応じて、慎み深い考え方をしなさい。」と、「私が言います。」ではなく「自分に与えられた恵みによって、あなたがたひとりひとりに言います。」と、上からの目線ではなく、恵みを知ったことによって悟ったことを語っています。テロは私たちの信仰と希望は神にかかっている、と言われました(ペテロの手紙 第一1章21節)。ヘブル人への手紙12章2節が「信仰の創始者であり完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。」と勧めているように他のキリスト者と自分を比較するようなことをせずに、信仰を完成させてくださるのは主であることを心に据えて、思いあがるような高ぶりから解放されるために、現在、神から与えらている信仰を、恵みによって救われていることを感謝し、主をほめたたえて生活しようではありませんか。