主は心の打ち砕かれた者の近くにおられ、霊の砕かれた者を救われる。(詩篇34篇18節)
1.詩篇51篇14節―17節
2.イザヤ書57章15節―19節
3.ダニエル書4章13節ー37節
4.ローマ人への手紙7章24節及び8章33節―39節
イエス様がペテロに「深みに漕ぎ出して、網をおろしなさい。」と言うと、ペテロは「先生。私たちは、夜通し働きましたが、何一つとれませんでした。でもおことばどおりに、網をおろしてみましょう。」と言って、主が言われたとおりにすると網が破れそうなほどになったので、別の舟にいた仲間たちにも合図をして引き揚げたところ、舟が二そうとも沈みそうになるほど捕れたのを見たペテロはイエス様の足もとにひれ伏して「主よ。私のような者から離れてください。私は、罪深い人間ですから。」と申し上げると、イエス様は「こわがらなくてもよい。これから後、あなたは人間をとるようになります。」と預言されたのでした(ルカの福音書5章4節―11節)。ペテロはそれ以来イエス様と寝食をともにし、「あなたは、生ける神の御子キリストです。」とイエス様について告白したにもかかわらず、イエス様がご自身の死と復活について話されると、「主よ。神の御恵みがありますように。そんなことが、あなたに起こるはずがありせん。」と言って、神の御子であるイエス様をいさめるようなことをしましたし(マタイの福音書16章15節及び21節―22節)、「主よ。ごいっしょになら、牢であろうと、死であろうと、覚悟はできております。」と言いましたが、イエス様は「ペテロ。あなたに言いますが、きょう鶏が鳴くまでに、あなたは三度、わたしを知らないと言います。」と言われたのでした。捕られたれたイエス様の後を遠くからついて行きましたが、主が言われたとおり三度主を知らないようなことを言ったペテロは、鶏が鳴いたとき主のことばを思い出して、大祭司の中庭から外に出て激しく泣いたのですが(ルカの福音書22章33節―34節及び55 節―62節)、復活の主はそのことを咎めることをされませんでした。そのことによって彼は神の愛の深さを知り、与えられた使命に生きたのでした。キリスト者になる前のパウロは自分を誇っていましたが、キリスト者になったパウロは自分の惨めさを実感するとともに神の恵みと神の愛の深さを味わう者となったのでした。自分に失望するようなとき、今日の聖句「主は心の打ち砕かれた者の近くにおられ、霊の砕かれた者を救われる。」を、十字架によって示された神の愛の深さを思い起こすとともに、主が信仰の深みに導こうとされていることを感謝しようではありませんか。