イエスは答えて言われた。「あなたがたが、神が遣わした者を信じること、それが神のわざです。」(ヨハネの福音書6章29節)
1.マタイの福音書16章13節―17節
2.ヨハネの福音書1章9節―13節
3.コリント人への手紙 第一1章26節―29節
4.ガラテヤ人への手紙1章1節
キリスト者を迫害していたパウロ が主を信じ、使徒とされたのはイエス・キリストと、キリストを死者の中からよみがえらせた父なる神によったものであることを告白したパウロが「十字架のことばは、滅びる人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。それは、こう書いてあるからです。『わたしは知恵ある者の知恵を滅ぼし、賢い者の賢さをむなしくする。』知者はどこにいるのですか。学者はどこにいるのですか。この世の議論家はどこにいるのですか。神は、この世の知恵を愚かなものにされたではありませんか。事実、この世が自分の知恵によって神を知ることがないのは、神の知恵によるのです。(コリント人への手紙 第一1章18節―21節)」と語っているように、どんなに知能指数が高くても、ノーベル賞を受賞するような人でも、総理大臣であっても、考えればすぐにわかると思われるのですが、不思議なことに、目があっても見えず、耳があっても聞こえず、足があっても動けず、人に世話してもらわなくてはならないような人の手によって造られた像を神として拝むようなことをしているのではないでしょうか。どんなにすばらしい評価を人からいただいても人を創造された神を知らないことは非常に残念なことではないでしょうか。賢さは知能指数にあるのではなく、人を創造された神を知り、その神を信じていることではないでしょうか。しかも、それは「あなたがたが、神が遣わした者を信じること、それが神のわざです。」とイエス様が仰せられたように、信仰がなくならないようにペテロのために祈られたことを思い起こし、今日も主を信じることができているのは神のわざであることを覚え、神のわざの中に生かされていることを感謝して生活しようではありませんか。