人のごきげんとりのような、うわべだけの仕え方でなく、キリストのしもべとして、心から神のみこころを行い、人にではなく、主に仕えるように、善意をもって仕えなさい。(エペソ人への手紙6章6節―7節)
1.マタイの福音書20章17節―28節
2.ルカの福音書22章24節ー27節
3.ローマ人への手紙12章2節ー3節
4.ピリピ人への手紙2章6節―11節
先月までは総裁選について、今はアメリカの大統領選挙に人々の関心が集まっていますが、どちらにおいても人間の根本的な問題が浮き彫りにされているように思われる中で、イエス様がだれが一番偉いかを論じていた弟子たちに仰せられた「あなたがたも知っているとおり、異邦人の支配者たちは彼らを支配し、偉い人とたちは彼らの上に権力をふるいます。あなたがたの間では、そうではありません。あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、みなに仕える者になりなさい。あなたがたの間で人の先に立ちたいと思う者は、あなたのしもべになりなさい。人の子が来たのが、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためであるのと同じです。」を思い起こしました。イエス様は弟子たちの足を洗いましたが、それは奴隷の仕事でしたし、罪人の救いのためにご自身のいちをささげられたことは、罪人に仕える働きであったように思わされましたが、それは父なる神のみこころに従ったことであったことを考えると、人に仕えることは主に従うことに相当することを思いました。パウロの「人のごきげんとりのような、うわべだけの仕え方でなく、キリストのしもべとして、心から神のみこころを行い、人にではなく、主に仕えるように、善意をもって仕えなさい。」というお勧めに生きる秘訣は主との関係に関わってくるのではないでしょうか。