人は自分の道はみな正しいと思う。しかし主は心の値うちをはかられる。(箴言21章2節)
1.サムエル記第一15章13節―23節
2.詩篇34篇15節―20節
3.マルコの福音書7章1節―22節
4.ルカの福音書18章9節ー14節
神はアダムに「あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べてよい。しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるとき、あなたは必ず死ぬ。(創世記2章16節―17節)」と、神は人に死ぬことのない道を示されただけでなく、自由意志を与えられたのでした。元は神に仕える御使であったにもかかわらず心の中で「私は天に上ろう。神の星々のはるか上に私の王座を上げ、北の果てにある会合の山にすわろう。蜜雲の頂に上り、いと高き方のようになろう。(イザヤ書14章13節)」と、高ぶったために天から落とされた悪魔はエバに神が禁じられた善悪の知識の木から取って食べても死なないどころか神のようになって善悪を知ることができる、と神の警告を完全否定しただけでなく、罪を犯すように仕向けたのでした。エバは善悪の知識の木を見て好ましく思ったので食べてから、アダムに渡したのでアダムも食べた結果、彼らは自分たちが裸であるのを知り、自分たちの考えでいちじくの葉をつづり合わせて自分たちの腰のおおいを作ったのですが、その結果、神である主の御声を聞くと、自分たちを創造してくださった主の御顔を避けて園の木の間に身を隠したように、神との関係に変化がもたらされたのでした(創世記3章1節ー8節)。アダムが罪を犯して以来、今日の聖句が語っているように人は自分の道はみな正しいと思って生活しているのではないでしょうか。しかし、詩篇18篇30節―32節は「神、その道は完全。主のみことばは純粋。主はすべて彼に身を避ける者の盾。まことに、主のほかにだれが神であろうか。私たちの神を除いて、だれが岩であろうか。この神こそ、私に力を帯びさせて、私の道を完全にされる。」と語っています。主が聖霊なる神として内住してくださっていることを心に据えて主の道を示してくださっているみことばそのもので生活しようではありませんか。