主を恐れよ。その聖徒たちよ。彼を恐れる者には乏しいことがないからだ。(詩篇34篇9節)

1.詩篇231節―6
2.マタイの福音書66節―13節及び27節−33
3.ローマ人への手紙828節―32
4.ローマ人への手紙11章33節―36節

人はとかく欲が満たされれば幸せになると思いがちなだけでなく、世のお母様方が「欲がないから出世しない」とか「欲がないから勉強しない」ということばをかつてよく耳にしました。「欲」は何かを成し遂げるための原動力や動機のようにとらえているのではないでしょうか。しかし、ヤコブの手紙1章15節は「欲がはらむと罪を生み、罪が熟すると死を生みます。愛する兄弟たち。だまされないようにしなさい。」と、またテモテへの手紙 第一 6章9節は「金持ちになりたがる人たちは、誘惑とわなと、また人を滅びと破滅に投げ入れる、愚かで、有害な多くの欲とに陥ります。」と、欲がもたらす弊害を語り、欲に対する概念が全く違っています。イエス様は、父なる神は私たちに何が必要かをご存知であることを話されました(マタイの福音書6章7節―8節)。神は罪の赦しと永遠のいのちを与えるためにイエス様を人としてこの世にお遣わしくださいました。この方こそすべての人にとって最も必要であることをヘブル人への手紙7章24節―25節は語っています。今日の聖句「主を恐れよ。その聖徒たちよ。彼を恐れる者には乏しいことがないからだ。」は、イスラエルの民だけでなく、最も必要な方とともに歩む恵みにあずかっているキリスト者にも語られています。パウロは三度主に願っても主は「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである。」と仰せられ、願いは聞き届けられませんでしたが、それは高ぶらないためであることを悟られました(コリント人への手紙第二12章1節―9節)。願ったことがかねなえられないことがあっても、子のための益となることをお考えになっておられる神であり、与えられていないことこそが神の恵であること、そこには神のご配慮があることを思うために「主の恐れる」すなわち、主の偉大さ、神の知恵と知識の豊かさを認めて生活しようではありませんか。