神と私たちの主イエスを知ることによって、恵みと平安が、あなたがたの上にますます豊かにされますように。(ペテロの手紙 第二1章2節)

1.イザヤ書46章3節ー13節
2.ヨハネの福音書11節―18
3.エペソ人への手紙1117節―19
4.ヘブル人への手紙414節―16

ヨハネの福音書1章18節が「いまだかつて神を見た者はいない。父のふところにおられるひとり子の神が、神を解き明かされたのである。」と語っているように、神を見た人はいないので、神の本質がわからず、ローマ人への手紙1章22節―23節が「彼らは、自分では知者であると言いながら、愚かな者となり、不滅の神の御栄えを、滅びべき人間や、鳥、獣、はうもののかたちに似た物と代えてしまいました。」と語っているように自分たちの考えや思いに従って像を造り、それを神として拝むような偶像崇拝をし、心の平安を得ようとしているのではないでしょうか。パリサイ人であった時のパウロは神に対して熱心でしたが、御霊を持たず、律法による自分の義に生き、ナザレ人イエスの名に強硬に敵対すべきと考えてキリスト者を迫害していたのですが、キリスト者となったパウロはキリストを信じる信仰によって与えられる神の義を、罪や死から救われるのは行いではなく恵みによるものであることを知る者、すなわち神と主イエス・キリストを知る者となり(エペソ人への手紙2章4節―9節)各教会に送った手紙には必ず「恵みと平安があなたがたの上にありますように」と平安の前に、恵みを先行させて書き送っています。イエス様は「わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。(ヨハネの福音書14章27節)」と仰せられたように、主が与えてくださる平安はこの世とは質の異なったものであり、イエス様との関係がなければ与えられないことがわかります。ヘブル人への手紙12章2節―3節は、私たちの心が元気を失い、疲れ果ててしまわないために信仰の創始者であり完成者であるイエス様、十字架につけられたイエス様のことを考えるように勧めています。パウロは「何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。(ピリピ人への手紙4章6節―7節)」と勧めていますが、そのためには今日の聖句が「神と私たちの主イエスを知ることによって、恵みと平安が、あなたがたの上にますます豊かにされますように。」と祈っておられるように、神と主イエス様をどのように知っているかにかかってくるのではないでしょうか。