わたしの民よ。わたしに心を留めよ。わたしの国民よ。わたしに耳を傾けよ。おしえはわたしから出、わたしはわたしの公義を定め、国々の民の光とする。(イザヤ書51章4節)

1.詩篇119129節―133
2.イザヤ書46章3節ー13節
3.マタイの福音書513節―16
4.ローマ人への手紙1010節―17

イザヤ書5章20節―24節は「ああ。悪を善、善を悪と言っている者たち。彼らはやみを光、光をやみとし、苦みを甘み、甘みを苦みとしている。ああ、おのれを知恵ある者とみなし、おのれを、悟りある者と見せかける者たち。ああ、酒を飲むことで勇士、強い酒を混ぜ合わせることにかけての豪の者。彼らはわいろのために、悪者を正しいと宣言し、義人からその義を取り去っている。それゆえ、それゆえ、火の舌が刈り株を焼き尽くし、炎が枯れ草をなめ尽くすように、彼らの根は腐れ、その花も、ちりのように舞い上がる。彼らが万軍の主のみおしえをないがしろにし、イスラエルの聖なる方のみことばを侮ったからだ。」と主のみおしえをないがしろにし、みことばを侮るとどのような状態になるかを語っています。「嘘も方便」と言いますが、嘘や偽りを処世術の一つとして活用しているからではないでしょうか。律法学者とパリサイ人から「先生。この女は姦淫の現場でつかまえられたのです。モーセは律法の中で、こういう女を石打にするように命じています。ところで、あなたは何と言われますか。」と繰り返し問われたイエス様は「あなたがたのうちで罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい。」と答えられると、自分を義人と自任し他の人々を見下しているようなパリサイ人や律法学者、姦淫をした女性以外の人々は立ち去ったのでした。イエス様は律法学者やパリサイ人に「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。(ヨハネの福音書8章1節―12節)。」と仰せられました。詩篇119篇130節は「みことばの戸が開くと、光が差し込み、わきまえのない者に悟りを与えます。」とみことばがもたらす結果を語っています。パウロは自分の義で生活していたときにはキリスト者を迫害していましたが、イエス様から「わたしは、この民と異邦人との中からあなたを救い出し、彼らのところに遣わす。それは彼らの目を開いて、暗やみから光に、サタンの支配から神に立ち返らせ、わたしを信じる信仰によって、彼らに罪の赦しを得させ、聖なるものとされた人々の中にあって御国を受け継がせるためである(使徒の働き26章17節―18節)」と言われましたが、それはイエス様によって遣わされているすべてのキリスト者に言えることではないでしょうか(ヨハネの福音書17章18節-20節)。今日の聖句が「わたしの民よ。わたしに心を留めよ。わたしの国民よ。わたしに耳を傾けよ。おしえはわたしから出、わたしはわたしの公義を定め、国々の民の光とする。」と勧めているように、自分の悟りにたよらず、どんな時にも主を信頼し、神の知恵であるいのちのみことばをしっかり握り、この世や人の知恵に惑わされないように生活するとともに機会が与えられたなら(ローマ人への手紙10章15 節)、みことばをお分ちしようではありませんか。