信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければなりません。(ヘブル人への手紙11章6節)

1.マルコの福音書525節―34
2.ルカの福音書71節―10
3.ヘブル人への手紙12章2節―12節

十二年の間、多くの医者からひどいめに会わされ、自分の持ち物をみな使い果たしても、何のかいもなく、かえって悪くなる一方であった長血をわずらっている女性は、「お着物にさわることでもできれば、きっと直る。」と、考えてイエス様のことを耳にし、群衆の中に紛れ込んで、うしろからイエス様の着物にさわると、血の源がかれて、ひどい痛みが直ったので、そのことを余すところなくイエス様に打ち明けると、イエス様は「娘よ。あなたの信仰があなたを直したのです。安心して帰りなさい。病気にかからず、すこやかでいなさい。」と仰せられたのですが、その信仰はイエス様がどのような方であるかを聞いて生まれたのではないでしょうか。マルコの福音書5章25節―34節に、病気で死にかけているしもべのためにユダヤ人の長老たち、友人たちをイエス様のもとに使いに出して伝えた百人隊長のことばを聞いて、百人隊長の信仰についてイエス様は驚かれて「あなたがたに言いますが、このようなりっぱな信仰は、イスラエルの中にも見たことがありません。」と仰せられたことが書かれていますが、長血をいやされた女性にしても、百人隊長にしてもその信仰はイエス様のことを聞いたことによるものであることがわかるとともに、その信仰は、まさしく今日の聖句が「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければなりません。」と勧めているようなものであったのでした。湖の上を歩いておられるのを見て「あれは幽霊だ」と言っておびえてしまい、恐ろしさのあまり、叫び声をあげた弟子たちに「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない」と言われたイエス様に「主よ。もし、あなたでしたら、私に、水の上を歩いてここまで来い、とお命じになってください。」とペテロが申し上げると、イエス様が「来なさい」と言われたので、彼は水の上を歩いてイエス様のほうに行ったのですが、風を見て、こわくなり、沈みかけたので「主よ。助けてください。」と叫んだのでした。そこで、イエス様はすぐに手を伸ばしてつかんでから「信仰の薄い人たち、なぜ疑うのか。」と言われたのでしたが(マタイの福音書14章22節―33節)、それでも主はペテロを助けられたのです。ヘブル人への手紙12章2節は、信仰の創始者であり完成者であるイエスから目を離さないように勧めています。イエス様から目を離すと、恐れや思い煩いが襲ってくるのではないでしょうか。ペテロの弱さをよくご存じで信仰がなくならないようにペテロのために祈られた主は、助け主である聖霊を遣わされたのでした。私たちのためにとりなしていてくださるイエス様はキリスト者の心に聖霊なる神として内住しておられることを感謝するとともに、主が喜ばれないような肉に支配されないために、いのちのみことばをしっかり握って(ピリピ人への手紙2章16節)生きるようにしようではありませんか。