民よ。どんなときにも、神に信頼せよ。あなたがたの心を神の御前に注ぎ出せ。神は、われらの避け所である。(詩篇62篇8節)

1.歴代誌 第二 201節―12
2.ピリピ人への手紙46節―7
3.ペテロの手紙 第一 5章7節―10節

パウロは「あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練と共に脱出の道も備えてくださいます。ですから、私の愛する者たちよ。偶像崇拝を避けなさい。(コリント人への手紙 第一 10章13節―14節)」と、励ましと警告を語っています。確かに、イスラエルの民はエジプトにおいても、特に前方は紅海、後方からはエジプト軍と四面楚歌のような状態に陥りましたが、主は紅海を二つに分けられイスラエルと民と一緒にエジプトを出た人々に乾いた道を用意され、エジプト軍が民に近づかないように民とエジプト軍との間に御使を遣わされ近づかないようにされ民が対岸に着くと海水を元に戻されエジプト軍は一人残らず溺死するようなことを見て、神の御力を見て主を賛美するような経験をしたにもかかわらず(出エジプト記14章10節―15章21節)、モーセが山から降りて来るのに手間取っているのを見た民はモーセを用いられた神を忘れサロンに「さあ、私たちに先立って行く神を、造ってください。私たちをエジプトの地から連れ上ったあのモーセという者が、どうなったのか、私たちにはわからないから。」と言ったので、アロンは民に金の耳輪を持って来るように言い、その耳輪をもって金の子牛の像を作り「イスラエルよ。これがあなたをエジプトの地から連れ上ったあなたの神だ。」などと言い、その像の前に祭壇を築いて全焼のいけにえや和解のいけにえを供え、民は飲み食いし、戯れ、神の怒りを招くような愚かなことをしたのでした(出エジプト記32章1節―10節)。今日の聖句が「民よ。どんなときにも、神に信頼せよ。あなたがたの心を神の御前に注ぎ出せ。神は、われらの避け所である。」と勧めているように、不安になったり、思い煩ったり、恐れが心に生じたりするような時、あせって自分の思いや考えで行動せず、私たちの神は、私たち以上に私たちをよくご存じで耐えられないほどの試練を与えることをされない神であり「不可能」という世界をもっておられない偉大な神であることを忘れずに祈りをお聞きくださる主を信頼して心のうちを正直に申し上げ、主からの平安をいただこうではありませんか(ヨハネの福音書14章27節)。