私に答えてください。主よ。私に答えてください。この民が、あなたこそ、主よ。神であり、あなたが彼らの心を翻して(ひるがえして)くださることを知るようにしてください。(列王記 第一 18章37節)
1.コリント人への手紙 第二 3章11節―18節
2.コリント人への手紙 第二4章15節―16節
3.エペソ人への手紙1章17節―19節
イスラエルの民が、前方には紅海、後方からはエジプト軍と四面楚歌の状態に陥った時、主は紅海を分けられ、民が渡り終えると海水をもとに戻されたのでエジプト軍は一人残らず溺死したのを見た民はモーセとともに主の偉大さを賛美したのですが(出エジプト記14章31節―15章19節)、約束の地に向かう道中、t欲にかられて「ああ、肉が食べたい。エジプトで、たたで魚を食べたことを思い出す。きゅうりも、すいか、にら、たまねぎ、にんにくも。だが今や、私たちののどは干からびてしまった。何もなくて、このマナを食べるだけだ。」と、主に願い求めることををせず、つぶやいただけでなく(民数記11章、モーセが山から降りてくるのに手間取っているのを見た民が、アロンに「さあ、私たちに先立って行く神を、造ってください。私たちをエジプトの地から連れ上ったあのモーセという者が、どうなったのか、私たちにわからないから。」と言ったので、アロンは民の金のイヤリングから金の子牛を造り偶像崇拝をしたのでした。アハブ王と結婚したシリアの王女イザベルはバアル崇拝をイスラエルにもたらしたのでした。エリヤは「あなたがたは、いつまでどっちつかずによろめいているのか。もし、主が神であれば、それに従い、もし、バアルが神であれば、それに従え、」と迫ったのですが、民は一言も答えなかったので、どちらの神がまことの神なのかをはっきりさせるために、民に「あなたがたは自分の神の名を呼べ。私は主の名を呼ぼう。そのとき、天か火をもって答える神、その方が神である。」と提案したのでした。バアルの預言者によって火は天から下ることはありませんでしたが、エリアが「アブラハム、イサク、イスラエルの神、主よ。あなたがイスラエルにおいて神であり、私があなたのしもべであり、あなたのみことばによって私がこれらのすべての事を行ったということが、きょう、明らかになりますように。私に答えてください。主よ。私に答えてください。この民が、あなたこそ、主よ。神であり、あなたが彼らの心を翻して(ひるがえして)くださることを知るようにしてください。」と祈ると、主の火が降って来たのでした。それを見た民は「主こそ神です。主こそ神です。」と主に立ち返ったのでした。エリヤの祈りを心に据え、聖霊によって心が新しくされていることを心に据えて、この世や人の知恵による聖書解釈にとらわれてしまわないように、私たちの心と思いを守ってくださる主を見上げて生きようではありませんか。