いつもあなたは白い着物を着、頭には油を絶やしてはならない。(伝道者の書98節)

1.詩篇235節―6
2.ヨハネの手紙 第一 218節―27
3.黙示録79節―17

イザヤ書1章18節は「『さあ、来たれ。論じ合おうと』と主は仰せられる。『たとい、あなたの罪が緋のように赤くても、雪のように白くなる。たとい、紅のように赤くても羊の毛のようになる。』」と主はどんな罪でも赦してくださり白くされることを語っていますが、それは邪悪な良心をきよめることができる十字架で流されたイエス様に血によるものであることをヘブル人への手紙10章14節―22節は語っています。キリストを信じる信仰によって神から与えられる神の義を知らずに自分の義に生き自分の考えで物事を判断してキリスト者を迫害していたパウロのように、人々は自分の考えや自分の感情に支配されて生きているのではないでしょうか。しかし、イザヤ書64章6節は「私たちはみな、汚れた者のようになり、私たちの義はみな、不潔な着物のようです。」と、語っています。「不潔」を直訳すると「月の物で汚れた」、すなわち、生理の時に女性が体外に排出する血を意味するもので、イエス様が十字架で流された血とは大きく違います。今日の聖句「いつもあなたは白い着物を着、頭には油を絶やしてはならない。」と勧めているみことばに生きるために、ローマ人への手紙13章14節が「主イエス・キリストを着なさい。肉の翼のために心を用いてはいけません。」と勧めているように、私たちの着物(衣)を白くしてくださるために十字架で血を流されたキリストを着る、すなわちいつもキリストのことを思い、キリスト・イエスにある者として生きるようにするとともに、「油」は聖霊を表しますから、パウロが「神の聖霊を悲しませてはいけません(エペソ人への手紙4章30節)。聖霊を消してはいけません(テサロニケへの手紙 第一5章19節)。」と勧めているように、頭が自分の考えや肉の思いから守られるように、聖霊によって書かれているみことばを考えてみことばに生きるようにしようではありませんか。