イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも同じです。(ヘブル人への手紙13章8節)
1.詩篇103篇13節―18節
2.ローマ人への手紙8章33節―39節
3.ヘブル人への手紙1章8節―12節
ヤコブは「私たちはみな、多くの点で失敗するものです。もし、ことばで失敗しない人がいたら、その人は、からだ全体もりっぱに制御できる完全な人です。(ヤコブの手紙3章2節)」と語っていますが、「言わなければよかった」と、後悔し落ち込んでしまうようなことがあるように、ことばで失敗しない人はいないことをすべての人は知っているのではないでしょうか。しかし、神は完全な方であるだけでなく、罪人を救うために御子イエス様を人としてお遣わしになり、十字架によって完全な救いの道を開かれたのでした。ですから、詩篇103篇8節―12節は「主は、あわれみ深く、情け深い。怒るのにおそく、恵み豊かである。主は、絶えず争ってはおられない。いつまでも、怒ってはおられない。私たちの罪にしたがって私たちを扱うことをせず、私たちの咎にしたがって私たちに報いることもない。天が地上はるかに高いように、御恵みは、主を恐れる者の上に大きい。東が西から遠く離れているように、私たちのそむきの罪を私たちから遠く離される。」と語っているのではないでしょうか。恵みとまことに満ちておられるイエス様は神の右の座についてキリスト者が罪に定められないようにとりなして祈っていてくださるのです。人はとかく人を欺く情欲(エペソ人への手紙4章22節)に支配され、人間関係にばかり気をとられ、他者と比較しながら生活して安定を欠いたような生き方をしていますが、パウロが「私はこう確信しています。死も、いのちも、御使も、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。(ローマ人への手紙8章38節―39節)」と確信を持てたのは、今日の聖句が「イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも同じです。」と語っているように、恵みとまことに満ちていられる主は常に同じ方であるからではないでしょうか。パウロと同じ確信をもって神に愛されていることを感謝して生きようではありませんか。