神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。(ローマ人への手紙8章28節)

1.伝道者の書31節―11
2. ピリピ人への手紙3章2節―16節

3.テモテへの手紙 第一 1章12節―17節

神から知恵の心と判断する心を与えられたソロモンは「私は心の中で、私の心は知恵によって導かれているが、からだはぶどう酒で元気づけようと考えた。人の子が短い一生の間、天の下でする事について、何が良いかを見るまでは、愚かさを身につけようと考えた。(伝道者の書2章3節)」と語っているように、この世のあらゆる分野を探索する中で、「天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。植えるのに時があり、植えたものを引き抜くのに時がある。・・・」と、「天の下」すなわち「この世」における両極端の出来事を具体的にあげるとともに人はその両極端の間を生きていることを語るとともに、「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神は、人の心に永遠を与えられた。しかし人は、神が行われるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。」と、人には理解できない神の働きがありますが、神の時に神はすべてを美しくしてくださることを語っています。キリスト者となったパウロは「私は八日目の割礼を受け、イスラエルの民族に属し、ベニヤミンの分れの者です。きっすいのヘブル人で、律法についてはパリサイ人、その熱心は教会を迫害したほどで、律法による義についてならば非難されるところのない者です。しかし、私にとって得であったこのようなものをみな、私はキリストのゆえに、損と思うようになりました。それどころか、私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに(口語訳:キリスト・イエスを知る知識の絶大な価値のゆえに)、いっさいのことを損と思っています(ピリピ人への手紙3章5節―8節)」と、最も大切なことは十字架の死と復活であることを、恵みを知り、恵みに生きる者となったのでした((コリント人への手紙 第一15章3節―10節)。パウロは律法による自分の義に生きていた時には多くのキリスト者を迫害した経験があるがゆえに、キリストを信じる信仰によって与えられる神の義、罪の赦しを与えることのできるキリストの恵みの中に生きる生き方の違いをはっきり語ることができるのではないでしょうか。今日の聖句「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」は、キリスト者を迫害した過去も十字架で処理され赦されているという恵みを、そのために御子イエス様を人としてこの世にお遣わしくださった神の愛を深く知る者となったパウロのことばです。どんなできごとも益としてくださる恵みとあわれみに満ちた主を仰ぎ見て、パウロと同じように、私たちの神はどのような方であるかを知る知識をもって生きる信仰生活を主に導いていただこうではありませんか。