あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。(ヨハネの福音書16章33節)
1.ローマ人への手紙8章 15節―24節
2.コリント人への手紙 第二 4章13節ー18節
3.ピリピ人への手紙3章17節―21節
4.ペテロの手紙 第一 5章8節―10節
ヨハネの福音書1章1節―5節は「初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。この方は、初めに神とともにおられた。すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。」と、イエス様について語るとともに、「やみ」すなわち悪魔の存在も語っていますが、悪魔はイエス様に戦いをいどんでも勝利することができなかったことを語っています。しかし、ヘブル人への手紙5章7節―10節が「キリストは、人としてこの世におられたとき、自分を死から救うことのできる方に向かって、大きな叫び声と涙とをもって祈りと願いをささげ、そしてその敬虔のゆえに聞き入れられました。キリストは御子であられるのに、お受けになった多くの苦しみによって従順を学び、完全な者とされ、彼に従うすべての人々に対してとこしえの救い与える者となり、神によってメルキゼデクの位に等しい大祭司ととなえられたのです。」と、語っているように、イエス様は「ダビデの子」として御降誕されたにもかかわらず、同胞の律法学者やパリサイ人、ユダヤ人からさまざまな嫌がらせをされただけでなく、最終的にはねたまれて犯罪者バラバの代わりに十字架につけられ殺されたのですが、三日目に死からよみがえられ完全な勝利を納められたのでした。この世を支配しているやみの力、すなわち悪魔はヨブを攻撃したように、キリスト者をさまざまな手段をもって攻撃しますが、イエス様のことばである今日の聖句「あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」を思い起こし、この世を支配している悪魔に完全に勝利されたイエス様が聖霊なる神としてキリスト者の心に内住しておられることを、悪魔の最大の武器である「死」は、永遠の世界へのドアであり、復活の主と同じ姿に変えられ、死も、悲しみも苦しみも一切ない永遠の栄光に満ちた御国で生き続ける将来が保証されていることを心に据え、悪魔の策略に陥らないように、悪魔に勝利されたイエス様がどのように生きられたかを思い起こし、心のうちを正直に主に申し上げ、信仰の完成者であるイエス様を仰ぎ見ながら、永遠のいのちが与えられていることを感謝して生きようではありませんか。