主は、いつくしみ深く、正しくあられる。それゆえ、罪人に道を教えられる。(詩篇25篇8節)

1.詩篇166節―11
2.マタイの福音書713節―14
3.ヨハネの福音書141-6
4.エペソ人への手紙2章1節ー9節

主はアダムに「あなたは園のどの木からでも思いのまま食べてよい。しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるとき、あなたは必ず死ぬ(創世記2章16節―17節)」と警告されたのですが、主が警告された時、エバはまだ存在していなかったために神の警告を直接聞いていなかったエバに悪魔は善悪の知識の木取って食べても「決して死にません」と偽りをもって神のことばを完全否定しただけでなく「あなたがたがそれを食べるその時、あなたがたの目が開け、あなたがたが神のようになり、善悪を知るようになることを神は知っているのです。」と、言ったので、エバはその木の実を取って食べてから一緒にいた夫アダムに与えたので、アダムも妻の声に聞き従って食べて罪を犯したために人類に死が臨むことになったのでしたが、コリント人への手紙 第一15章19節―22節が「もし、私たちがこの世にあってキリストに単なる希望を置いているだけなら、私たちは、すべての人の中で一番哀れな者です。しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。というのは、死がひとりの人を通して来たからです。すなわち、アダムにあってすべての人が死んでいるように、キリストによってすべての人が生かされるからです。」と、ローマ人への手紙6章23節が「罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。」と、あわれみ豊かな神は御子イエス様を人としてこの世にお遣わしくださり、全人類を罪から贖い出すために十字架に架けられ、イエス様を信じる者には肉体のいのちは死を迎えても、死に勝利した復活のいのち、永遠のいのちが与えられることを、しかも、イエス様は「まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしのことばを聞いて、わたしを遣わした方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきに会うことがなく、死からいのちに移っているのです。(ヨハネの福音書5章24節)」と、死後、キリスト者の全生涯の罪は十字架で支払われて取り除かれているので、罪がさばかれることがないことを話されたのです。イエス様は「悪魔は初めから人殺しであり、真理に立ってはいません。彼のうちには真理がないからです。彼が偽りを言うときは、自分にふさわしい話し方をしています。なぜなら彼は偽り者であり、また偽りの父であるかたです。(ヨハネの福音書8章44節)」と仰せられたように、世全体を支配している悪魔は死への道を教えましたが、今日の聖句が「主は、いつくしみ深く、正しくあられる。それゆえ、罪人に道を教えられる。」と語っているように、主はいのちへの道を教えてくださるのです(詩篇16篇11節)。ですから、パウロは「この世と調子を合わせていけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。」と、この世の価値観や生き方に惑わされずに、自分の考えや自分の思いにいきるのではなく、主のみこころにかなった生き方をするように勧めています。神のことばであり、神のみこころを教えている聖書のことばで、この世に属する者ではなく、主の御名をもってこの世を支配している悪魔の手から人々が解放されるようにとりなして祈る特権が与えられていることを、祈りをもってこの世に影響を与える者であることを自覚し、キリストに属する者として生きるようにしようではありませんか。