起きよ。光を放て。あなたの光が来て、主の栄光があなたの上に輝いているからだ。(イザヤ書60章1節)

1.ヨハネの福音書1223節―28
2.ヨハネの福音書1714節―22
3.エペソ人への手紙58節―14

イエス様は「わたしが天から下って来たのは、自分のこころを行うためではなく、わたしを遣わした方のみこころを行うためにです(ヨハネの福音書6章38節)」と仰せられるとともに「人の子が栄光受けるその時が来ました。まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。自分のいのちを愛する者はそれを失い。この世でそのいのちを憎む者はそれを保って永遠のいのちに至るのです。わたしに仕えるというのなら、その人はわたしについて来なさい。わたしがいる所に、わたしに仕える者もいるべきです。父はその人に報いてくださいます。今わたしの心は騒いでいる。何と言おうか。『父よ。この時からわたしをお救いください』と言おうか。いや、このためにこそ、わたしはこの時に至ったのです。父よ。御名の栄光を現わしてください。」と、十字架の死を覚悟されると、そのとき「わたしは栄光をすでに現わしたし、またもう一度栄光を現そう。」という天からの声が聞こえたことをヨハネの福音書12章23節―28節は語っています。イエス様は十字架で殺された後、墓に葬られましたが、三日目に死からよみがえられ栄光を現され、四十日後雲に包まれて昇天されたのでした(使徒の働き1章9節)。イエス様は「わたしが世にいる間、わたしは世の光です。(ヨハネの福音書9章5節)」と仰せられただけでなく、弟子たちに「あなたがたは世界の光です。(マタイの福音書5章14節)」と仰せられましたことばはイエス様を信じるすべてのキリスト者に適用されるものです(ヨハネの福音書17章20節)。イエス様は昇天され、今は父なる神の右に座して私たちのためにとりなして祈っておられます。すなわち、この世にはおられません。パウロは「私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。(コリント人への手紙第二3章18節)」と語っています。今日の聖句が「起きよ。光を放て。あなたの光が来て、主の栄光があなたの上に輝いているからだ。」と語っているように、キリスト者になったら御霊と主の栄光が与えられていることに目覚め、ピリピへの手紙2章14節―16節「すべてのことを、つぶやかずに、疑わずに行いなさい。それは、あなたがたが、非難されるところのない純真な者となり、また、曲がった邪悪な世代の中にあって傷のない神の子どもとなり、いのちのことばをしっかり握って、彼らの間で世の光として輝くためです。」をしっかり握って、自分の意志や考え、自分の思いに生きるのではなく、主のみこころを教えてくださっているみことばそのもので生きるようにしようではありませんか。たとえ、みことばにそぐわないような失敗をしても、罪に定められないようにとりなしていてくださる主を仰ぎみて、栄光から栄光へと主と同じ姿に変えてくださる御霊なる主が働きやすいように、この世にはない恵みの中に生き続けようではありませんか。