主はひとりの預言者によってイスラエルをエジプトから連れ上り、ひとりの預言者によってこれを守られた。(ホセア記12章13節)

1.出エジプト記31節―10
2.ローマ人への手紙123節―5
3.コリント人への手紙第一15章12節―22節

創世記1章27節に「神は人をご自分のかたちとして創造された。神のかたちとして彼を創造し、男と女とに彼らを創造した。」とありますが、創世記2章17節―18節に「神である主は人に命じて仰せられた。『あなたは園のどの木からでも思いのまま食べてよい。しかし、善悪の知識の木から取って食べてはならない。それを取って食べるとき、あなたは必ず死ぬ。』と仰せられてから、「人が、ひとりでいるのは良くない。わたしは彼のために、彼にふさわしい助け手を造ろう。」と仰せられてからアダムに深い眠りを下され、彼のあばら骨の一つを取ってエバを造られたのでした。ですから、実際はひとりの人から人類は誕生したのです。また、創世記12章1節―3節に「主はアブラムに仰せられた。『あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。』」と、やはりひとりの人アブラハムから祝福が臨むことを語ったのです。コリント人への手紙第一15章19節―22節も「もし、私たちがこの世にあってキリストに単なる希望を置いるだけなら、私たちは、すべての人の中で一番哀れな者です。しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。というのは、死がひとりの人を通して来たように、死者の復活もひとりの人を通して来たからです。すなわち、アダムにあってすべての人が死んでいるように、キリストによってすべての人が生かされるからです。」と、ひとりの行為がどのような影響や結果を及ぼすかを語っています。今日の聖句は「主はひとりの預言者によってイスラエルをエジプトから連れ上り、ひとりの預言者によってこれを守られた。」とモーセについて語っていますが、主によって遣わされた者の働きがいかに大切であるかを思わされます。パウロが「一つのからだには多くの器官があって、すべての器官が同じ働きはしないのと同じように、大ぜいいる私たちも、キリストにあって一つのからだであり、ひとりひとり器官なのです。(ローマ人への手紙12章4節―5節)」と語っているように、キリスト者ひとりひとりがキリストのからだの一部であり大切な存在であることを自覚し、他のキリスト者と自分を比較して優越感をもったり劣等感に悩むようなことのないようにしようではありませんか。モーセはイスラエルの民をエジプトから導き出す働きをしただけでなく、民が罪を犯すととりなしをなされました。イエス様は「あなたがわたしを世に遣わされたように、わたしも彼らを世に遣わしました。(ヨハネの福音書17章18節)」と、キリスト者はイエス様によってこの世に遣わされた者であることを自覚し、人々の救いのために祈ろうではありませんか。