私は貧しさの中にいる道も知っており、豊かさの中にいる道も知っています。また、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。(ピリピ人への手紙4章12節―13節)
1.出エジプト記3章1節―4章9節
2.ヨハネの福音書15章4節―8節
3.コリント人への手紙 第二 12章1節―10節
ソロモンは「私は再び、日の下を見たが、競争は足の早い人のものではなく、戦いは勇士のものではなく、またパンは知恵ある人のものではなく、また富は悟りのある人のものではなく、愛顧は知識のある人のものではないことがわかった。すべての人が時と機会に出会うからだ。しかも、人は自分の時を知らない。悪い網にかかった魚のように、わなにかかった鳥のように、人の子らもまた、わざいの時が突然彼らを襲うと、それにかかってしまう。(伝道者の書9章11節―12節)」と、「日の下」すなわち創造者なる神を認めないこの世には保証がないことを語っています。台風が来ることを、その威力を予知できても、人の知恵や力では抵抗することができないほどの勢いをもって次から次に日本を襲った台風による被害は絶大なものであり被災された方々、特に千葉県の被災された方々の抱える不安や恐れは想像を絶するものがあったのではないでしょうか。モーセが同胞のヘブル人を打っていたエジプト人を殺害したのを聞いたパロはモーセを殺そうとしたので、モーセはミデヤン人の地に逃げたのですが、神はモーセにイスラエルの民をエジプトの地から「広い良い地、乳と蜜の流れる地」へ導き出すように告げたのですが、モーセが「私はいったい何者なのでしょう。パロのもとに行ってイスラエル人をエジプトから連れ出さなければならないとは。」と言ったので、神は「わたしはあなたとともにいる。これがあなたのためのしるしである。わたしがあなたを遣わすのだ。」と、全能者なる神が一緒にいることを語ったのでした。神が仰せられる通りモーセが行動すると神は多くの驚くべき奇蹟をもって、ご自身の力がどれほどのものなのかを示されたのでした。すなわち、神がともにおられることが全てであることを見ることができるのではないでしょうか。パウロは「私は貧しさの中にいる道も知っており、豊かさの中にいる道も知っています。また、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。」と、「私を強くしてくださる方」、すなわち自分の知恵や力ではなく、神が一緒にいてくださるので、どんな境遇にあっても心がくじけることなく対処できることを語っています。今回の台風の威力や犯罪がはびこっているのを見て、「これから、どうなるのか」と不安や恐れを抱いたり、嘆いたりせず、主が一緒におられることを感謝するとともに、被災地の方々がいつも共にいてくださる主を知ることができるように祈ろうではありませんか。