私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神はキリストにあって、天にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。すなわち、神は私たちを世界の基の置かれる前から彼にあって選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。(エペソ人への手紙1章3節―4節)

1.イザヤ書463節―13
2.イザヤ書491節―7
3.エレミヤ書14節―5
4.ペテロの手紙 第一 1章3節ー4節

人はとかく母の胎内に宿ったときにはじめて人として存在するように思いがちですが、驚くべきことに今日の聖句は「神は私たちを世界の基の置かれる前から彼にあって選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。」と、世界が造られる前、すなわち母の胎に宿る前にキリストにあって選ばれ、存在していることを語っています。しかもパウロが「私は神の福音をもって、祭司の務めを果たしています。それは異邦人を、聖霊によって聖なるものとされた、神に受け入れられる供え物とするためです。(ローマ人への手紙15章16節)」と語っているように、イエス・キリストを信じたなら、全生涯の罪が赦されているだけでなく、聖霊が与えられるので、単に存在するだけでなく、神の御前に聖く、傷のない者にされていることを語っています。ところで、パウロが「私が使徒となったのは、人間から出たことではなく、また人間の手を通したことでもなく、イエス・キリストと、キリストを死者の中からよみがえらせた父なる神によったのです(ガラテヤ人への手紙1章1節)」と、彼が使徒となったのは神の選びとご計画によるものであったことを語っています。迫害していた者が使徒になり福音を語るような者になるなど、パウロ自身にとっても思いもよらないことだったのではないでしょうか。詩篇130篇3節―4節が「主よ。あなたがもし、不義に目を留められるなら、主よ、だれが御前に立ちえましょう。しかし、あなたが赦してくださるからこそあなたは人に恐れられます。」と、イエス様を信じたなら、すべての罪が赦され、聖なる者とされているだけでなく、ペテロが「朽ちることも汚れることも、消えて行くこともない資産を受け継ぐようにしてくださいました。これはあなたがたのために、天にたくわえられているのです。(ペテロの手紙 第一 1章4節)」と語っているように、この世が与えることのできない天にある霊的祝福をもって祝福されているのです。私たちの全生涯の罪や罪過は十字架で支払われている恵みを心に留めて、パウロが「私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。」と語っているように神に愛されている存在であることを感謝するとともに、主を誉めたたえて生きようではありませんか。