主を恐れよ。その聖徒たちよ。彼を恐れる者には乏しいことはないからだ。若い獅子も乏しくなる。しかし、主を尋ねる者は、良いものに何一つ欠けることはない。(詩篇34篇9節―10節)

1.詩篇231節―6
2.マタイの福音書624節―33
3.ローマ人への手紙828節―32

イスラエルの民は神の数々の奇蹟を体験し、神がどんな偉大な方であるかを、エジプトから導き出されたのは乳と蜜の流れる良い地に導くためであったことを知らされていたにも関わらず、約束の地を探って来た者のうち、約束の地について悪く言いふらした者のことばに惑わされ、「私たちはエジプトの地で死んでいたらよかったのに。できれば、この荒野で死んだほうがましだ。なぜ主は、私たちをこの地に導いて来て、剣で倒そうとされるのか。私たちの妻子は、さらわれてしまうのに。エジプトに帰ったほうが、私たちにとってよくはないか。」とつぶやいたので、主を信頼したヨシュアとカレブ以外の20歳以上のものは約束の地に入れなかったのです(民数記13章32節ー14章30節)。民は肉の思いに支配され、主を恐れる、すなわち主がどんなに偉大な方であるかを忘れたのでした。モーセは「あなたの牛や羊の群れがふえ、金銀が増し、あなたの所有物がみな増し加わり、あなたの心が高ぶり、あなたの神、主を忘れる、そういうことがないように。―主は、あなたをエジプトの地、奴隷の家から連れ出し、燃える蛇やさそりのいるあの恐ろしい荒野、水のない、かわききった地を通らせ、堅い岩から、あなたのために水を流れ出させ、あなたの先祖たちの知らなかったマナを、荒野であなたに食べさせられた。それは、あなたを苦しめ、あなたを試み、ついには、あなたをしあわせにするためであったーあなたは心のうちで、『この私の力、私の手の力がこの富を築き上げたのだ』と言わないように気をつけなさい。あなたの神、主を心に据えなさい」と約束の地に入った時荒野で主をないがしろにしたような状態に陥らないように警告したのでした(申命記8章1節ー18節)。イエス様は「日ごとの糧をきょうもお与えください。」と祈るように仰せられました。それは、この世に生きている限り健康が保たれるために日々必要な食料だけでなく、イエス様が悪魔に「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる』と書いてある」と仰せられたように、みことばをも意味するのではないでしょうか。イエス様はご自分のことを「わたしがいのちのパンです。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。(ヨハネの福音書6章35節)」と、イエス様を信じることによって飢え渇きのない、満ち足りた心を持つことができることを約束されました。火の柱、雲の柱は荒野を旅する時にのみあったのです。荒野、すなわち試みの中でしか主を体験できないことがあるのではないでしょうか。今日の聖句が「主を恐れよ。その聖徒たちよ。彼を恐れる者には乏しいことはないからだ。若い獅子も乏しくなる。しかし、主を尋ねる者は、良いものに何一つ欠けることはない。」と勧めているように、どんな時にも、主がどんなに偉大な方であるかを、主にはご計画があることを、必要なもの(日々の糧)を与えることのできる方であることを認め、正直に心のうちを申し上げ、主に期待して生きようではありませんか。