わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。(マタイの福音書11章29節)
1.イザヤ書41章5節―10節
2.エペソ人への手紙4章17節―32節
3.ヘブル人への手紙4章14節―16節
ヘブル人への手紙5章7節―10節は「キリストは、人としてこの世におられたとき、自分を死から救うことのできる方に向かって、大きな叫び声と涙をもって祈りと願いをささげ、そしてその敬虔のゆえに聞き入れられました。キリストは御子であられるのに、お受けになった多くの苦しみによって従順を学び、完全な者とされ、彼に従うすべての人々に対して、とこしえの救いを与える者となり、神によってメルキゼデクの位に等しい大祭司ととなえられたのです。」と、人としてご降臨くださったイエス様がどのように生きられたかを語っていますが、ペテロは「人がもし、不当な苦しみを受けながらも、神の前における良心のゆえに、悲しみをこらえるなら、それは喜ばれることです。罪を犯したために打ちたたかれて、それを耐え忍んだからといって、何の誉れになるでしょう。けれども、善を行って苦しみを受け、それを耐え忍ぶとしたら、それは神に喜ばれることです。あなたがたが召されたのは、実にそのためです。キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残されました。」と、主はキリスト者が生きるべき生き方の模範を残されたことを語っています。主は私たちの弱さも、どれほどの試練なら耐えられるかもご存知で、とりなしておられるだけでなく、今日の聖句が「わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。」と語っているように、イエス様とくびきを一緒に負っている、すなわち、すべてのことを働かせて益としてくださる主がどんな時も一緒にいてくださることを認めるとともに、主は私たちの弱さをご存知でとりなしていてくださることを、主はすべてのことを働かせて益としてくださることを感謝し、自分のわざを休んで主の安息の中に入り(ヘブル人への手紙4章10節―11節)、主が与えてくださる安らぎの中に生きようではありませんか。