心に知恵のある者は悟りのある者ととなえられ、その快いことばは理解を増し加える。(箴言16章21節)
1.出エジプト記35章30節―36章2節
2.列王記 第一 3章3節―19節
3.コリント人への手紙 第一1章18節―25節
一般的に知恵は頭脳に蓄えられていると考えがちですが、今日の聖句は「心に知恵のある者は悟りのある者ととなえられ、その快いことばは理解を増し加える。」と、心に蓄えられる知恵について語っていますが、ヤコブの手紙3章13節―17節は「あなたがたのうちで、知恵のある、賢い人はだれでしょうか。その人は、その知恵にふさわしい柔和な行いを、良い生き方によって示しなさい。しかし、もしあなたがたの心の中に、苦いねたみと敵対心があるならば、誇ってはいけません。真理に逆らって偽ることになります。そのような知恵は、上から来たものではなく、地に属し、肉に属し、悪霊に属するものです。ねたみや敵対心のあるところには、秩序の乱れや、あらゆる邪悪な行いがあるからです。しかし、上からの知恵は、第一に純真であり、次に平和、寛容、温順であり、また、あわれみと良い実とに満ち、えこひいきがなく、見せかけのないものです。」と、知恵にも二通りあることを、しかもそれは心の状態によるものであることを語っています。ところで、詩篇119篇99節が「私は私のすべての師よりも悟りがあります。それはあなたのさとしが私の思いだからです。」と、今日の聖句が「心に知恵のある者は悟りのある者」と語っている知恵は、神の知恵であるみことばであることがわかります。ヤコブの手紙1章20節―21節が「人の怒りは、神の義を実現するものではありません。ですから、すべての汚れやあふれる悪を捨て去り、心に植えつけられたみことばを、すなおに受け入れなさい。みことばはあなたのたましいを救うことができます。」と勧めているように、感情に支配され、みことばに従わせないような肉の思いに一時的に走ってしまうような時、ゲッセの園で悲しみもだえ苦しみながら祈られ、ご自身を私たちの犯した罪の罰を受けるために十字架に架けられただけでなく、死からよみがえられ父なる神の右に座してとりなしていてくださるイエス様のことを思い起こし、恵みのみことばに同意し、神の愛と恵みの深みに導いていただこうではありませんか。