神に従いなさい。そして、悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります。(ヤコブの手紙4章7節)
1.エペソ人への手紙6章10節―18節
2.ペテロの手紙 第一5章7節―11節
3.ヨハネの手紙 第一 5章3節ー5節
イエス様は「あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。(ヨハネの福音書16章33節)」と、仰せられました。なぜなら、世全体を支配している悪魔はイエス様を試みたように、神の戒めを守り、イエスのあかしを保っているキリスト者に戦いを仕掛けてくるからです(黙示録12章17節)。しかし、そのような悪魔の攻撃も、ヨブ記の記事に、主が「おまえはわたしのしもべ呼ぶに心を留めたか。彼のように潔白で正しく、神を恐れ、悪から遠ざかっている者はひとりも地上にはいないのだが。」と仰せられると、悪魔(サタン)は「ヨブはいたずらに神を恐れましょうか。あなたは彼と、その家とそのすべての持ち物との回りに、垣を巡らしたではありませんか。あなたが彼の手のわざを祝福されたので、彼の家畜は地にふえ広がっています。しかし、あなたの手を伸べ、彼のすべての持ち物を打ってください。彼はきっと、あなたに向かってのろうに違いありません。」と答えたので、主は「では、彼のすべての持ち物をおまえの手に任せよう。ただ彼の身に手を伸ばしてはならない。」と仰せられたように、神の許しなしに悪魔は攻撃できないことがわかります。主はヨブ自身にも悪魔が攻撃することを許されましたが、主はヨブが悪魔が願っているような、神をのろうようなことはしないことをご存知で悪魔の攻撃を許されたのではないでしょうか。ヨブが悪魔から彼自身が悪性の腫物で攻撃されても、「それでもなお、あなたは自分の誠実を堅く保つのですか。神をのろって死になさい。」と悪魔が喜ぶようなことを言った妻に対して「あなたは愚かな女が言うようなことを言っている。私たちは幸いを神から受けるのだから、わざわいをも受けなければならないではないか。」と言って罪を犯すようなことを言わずに勝利した秘訣は心が神に向いていたことにあるように思います。問題や試練自体をもたらすのは悪魔ですが、それを許された神の存在を心に留めることが大切ではないでしょうか。神は創造者で、悪魔は私たち同様被造物です。私たちには理解できないような出来事の背後に神の摂理があることを心に留めて、悪魔に勝利した信仰生活を主に導いていただこうではありませんか。