人を恐れるとわなにかかる。しかし主に信頼する者は守られる。(箴言29章25節)

1.歴代誌 第二201230
2.ダニエル書3830
3.ダニエル書6124

イザヤ書43章1節—4節は「イスラエルよ。あなたを形造った方、主はこう仰せられる。『恐れるな。わたしがあなたを贖ったのだ。わたしはあなたの名を呼んだ。あなたはわたしのもの。あなたが水の中を過ぎるときも、わたしはあなたとともにおり、川を渡るときも、あなたは押し流されない。火の中を歩いても、あなたは焼かれず、炎はあなたに燃えつかない。わたしが、あなたの神、主、イスラエルの聖なる者、あなたの救い主であるからだ。わたしは、エジプトをあなたの身代金とし、クシュとセパをあなたの代わりとする。わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛しているだからわたしは人をあなたの代わりにし、国民をあなたのいのちの代わりにするのだ。』」と、主は紅海の水をわけられたので、民は無事に紅海を渡りましたが、エジプト軍はひとり残らず、溺死しました。祭司たちの足の裏がヨルダン川の水ぎわに浸ったとき、川の水は完全にせきとめられ、民はかわいた地を通って対岸に無事渡ったのでした。ダニエルと同僚のふたりは金の像を拝まなかったために火の燃える炉の中に投げ込まれましたが、主は御使いを遣わし、火が彼らに何の影響も及ぼさないようにされたのでした。イエス様は「インマヌエル(神は私たちとともにおられる。)」と呼ばれる、とあります。主はイスラエルの民がどんな状況の中にあっても常にともにおられ、導かれたようにイエス様は聖霊なる神としてキリスト者の心に内住しておられます。今日の聖句は「人を恐れるとわなにかかる。」と、サタンが仕掛けて来る「わな」すなわち神との関係よりも人間関係にのみ心が奪われて(マタイの福音書16章23節)神の存在を忘れ、12人のうちのヨシュアとカレブ以外の10人のように約束の地がどんなにすばらしい地であるかを見ても、そこで見た民はみな背の高い者たちで、「自分たちはいなごのように見えたし、彼らもそう見たことだろう。」と、民に悪く言いふらして主を信頼しない方向に、信仰に生きられない状態に陥ってしまうのではないでしょうか(民数記13章27節—14章11節)。今日の聖句が「主を信頼する者は守られる」と、箴言3章6節が「あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる」と勧めているように主がどのような方であるかをイスラエルの歴史から思い起こし、主の偉大さに目を留め、主を信頼して生きようではありませんか。