聖書箇所

あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。(箴言3章6節)

<関連聖句>

1.箴言1412節及び1625
2.ローマ人への手紙827節―28
3.ヘブル人への手紙12章2節ー11節

<メッセージ>

イエス様が「あなたがたは、聖書の中に永遠のいのちがあると思うので、聖書を調べています。その聖書が、わたしについて証言しているのです。それなのに、あなたがたはいのちを得るためにわたしのもとに来ようとはしません。わたしは人からの栄誉は受けません。ただ、わたしはあなたがたを知っています。あなたがたのうちには、神の愛がありません。わたしはわたしの父の名によって来ましたが、あなたがたはわたしを受け入れません。ほかの人がその人自身の名において来れば、あなたがたはその人を受け入れるのです。」と、仰せられたように、この世には人の考えや世全体を支配している悪い者(ヨハネの福音書 第一5章19節)、すなわち悪魔や悪霊のささやきを「お告げ」と称して教えを説く人々によって数えきれないほどの宗教がこの世にありますが、箴言14章12節や箴言16章25節は「人の目にはまっすぐに見える道がある。その道の終わりは死の道である。」と語っています。一方イエス様は永遠のいのちを与えてくださる方なのです。ですからパウロは「あのむなしい、だましごとの哲学によってだれのとりこにもならぬよう、注意しなさい。それは人の言い伝えによるもの、この世の幼稚な教えによるものであって、キリストによるものではありません。キリストのうちにこそ、神の満ち満ちたご性質が形をとって宿っています。そしてあなたがたは、キリストにあって、満ち満ちているのです。キリストはすべての支配と権威のかしらです。(コロサイ人への手紙2章8節―10節)」と、人のとりこにならないようにキリストがどのような方であるかを心に留めて生きることを勧めているのではないでしょうか。今日の聖句が「あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。」と勧めているように、キリストはすべての支配と権威のかしらであることを、すべてを益としてくださる方であることを、主にはご計画があることを、私たちの道をまっすぐにしてくださることを心に留めて生きようではありませんか。