聖書箇所

わたしは目の見えない者に、彼らの知らない道を歩ませ、彼らの知らない通り道を行かせる。彼らの前でやみを光に、でこぼこの道を平らにする。これらのことをして彼らを見捨てない。(イザヤ書42篇16節)

<関連聖句>

1.出エジプト記1317節―21
2.ヨハネの福音書924節―41
3.ローマ人への手紙216節―24

<メッセージ>

モーセに「わたしは、エジプトにいるわたしの民の悩みを確かに見、追い使う者の前の彼らの叫びを聞いた。わたしは彼らの痛みを知っている。わたしが下って来たのは、彼らをエジプトの手から救い出し、その地から、広い良い地、乳と蜜の流れる地、カナン人、ヘテ人、エモリ人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人のいる所に、彼らを上らせるためだ。見よ。今こそ、イスラエル人の叫びはわたしに届いた。わたしはまた、エジプトが彼らをしいたげているそのしいたげを見た。今、行け。わたしはあなたをパロのもとに遣わそう。わたしの民イエスラエル人をエジプトから連れ出せ。」と仰せられた主は、モーセを用いられて多くの奇蹟を行って、イスラエルの民をエジプトから導き出されたのですが、「民が戦いを見て、心が変わり、エジプトに引き返すといけない。」と言われた神は、約束の地への近道であるペリシテ人の国の道に導か」ずに、葦の海に沿う荒野の道に回らせたのですが、昼は、イスラエルの民の宿営する場所を捜され、彼らを導くために雲の柱の中に、夜は、彼らを照らすため、火の柱の中にいて、民の前を進まれたのでした。民は約束の地を探ってきた12人のうち、約束の地を悪く言いふらした10人の意見を信じ「私たちはエジプトの地で死んでいたらよかったのに。できれば、この荒野で死んだほうがましだ。なぜ主は、私たちをこの地に導いて来て、剣で倒されようとされるのか。私たちの妻子は、さらわれてしまうのに。エジプトに帰ったほうが、私たちにとって良くはないか。」と言い出したので、主は主を信頼したヨシュアとカレブ以外の「荒野で死んだほうがましだ」と言った20歳以上の民を荒野で亡くなるようにされたのですが、その間も今日の聖句が「わたしは目の見えない者に、彼らの知らない道を歩ませ、彼らの知らない通り道を行かせる。彼らの前でやみを光に、でこぼこの道を平らにする。これらのことをして彼らを見捨てない。」と語っているように、主は奇蹟を体験していても神の偉大さや神の約束を目に止めずに神を信頼しなかった民、すなわち目に見えない者と共におられ、彼らの必要を満たされながら荒野の旅を導かれたのでした。私たちもこの世を去るまでどんなことが起こるか、どんな試練が待ち受けているか、どんな間違いをするかわからずに生活していますが、私たちには理解できないご計画と目的をお持ちであるがゆえに、そのことが起こることを許された神を、私たちを見捨てずにとりなしていてくださる主を心に留めて生きるなら、やみは光に、どんな出来事も主が平らにしてくださる主の栄光を見るのではないでしょうか。