聖書箇所

主とその御力を尋ね求めよ。絶えず御顔を慕い求めよ。(詩篇105篇4節)

<関連聖句>

1.詩篇341節―10
2.ピリピ人への手紙410節―13
3.ペテロの手紙 第二12節―4

<メッセージ>

祈っても、祈っても、その祈りが神には届いていないように思うと、心はなえてしまい、神から忘れられているような、見捨てられたような思いにとらわれてしまいイスラエルの民が荒野でつぶやいたような状態にある者に向かって主は「ヤコブよ。なぜ言うのか。イスラエルよ。なぜ言い張るのか。『私の道は主に隠れ、私の正しい訴えは、私の神に見過ごされていると。』あなたは知らないのか。聞いていないのか。主は永遠の神、地の果てまで創造された方。疲れることなく、たゆむことなく、その英知は測り知れない。疲れた者には力を与え、精力のない者には活気をつける。若者も疲れ、たゆみ、若い男もつまずき倒れる。しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない。(イザヤ書40章28節―31節)」と、主を待ち望むなら、主から新たなる力が与えられることを語っています。ヘブル人への手紙12章2節―3節も同じように「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせず十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。あなたがたは、罪人たちのこのような反抗を忍ばれた方のことを考えなさい。それは、あなたがたの心が元気を失い、疲れ果ててしまわないためです。」と、心がなえることのないようにイエス様から目を離さないように勧めていますが、それは体力とは異なった力を得る秘訣を語っている今日の聖句「主とその御力を尋ね求めよ。絶えず御顔を慕い求めよ。」に通じるのではないでしょうか。伝道者の書3章11節には「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を与えられた。しかし人は、神が行われるみざわを、初めから終わりまで見きわめることがでいない。」とあります。何事の背後に主のご計画があることを、主の時に主がすべてを美しくされることを心に据え、主の御顔を仰ぎ見て生きようではありませんか。