聖書箇所

罪に定めようとするのはだれですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、私たちのためにとりなしていてくださるのです。(ローマ人への手紙8章34節)

<関連聖句>

1.民数記13章25節ー14章20節
2.ヨブ記421節―10
3.イザヤ書537節―12
4.ルカの福音書2231節―34

<メッセージ>

イエス様はペテロに「シモン、シモン。見なさい。サタンが、あなたを麦のようにふるいにかけることを願って聞き届けられました。しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。(ルカの福音書22章31節―32節)」とペテロのために祈られただけでなく、「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」とイエス様を十字架につけた人々のためにとりなして祈られたのです。ステパノは石を投げつけられて打ち殺されるとき「主よ。この罪を彼らに負わせないでください。」ととりなして祈られましたが、その時サウロ(パウロ)はステパノを殺すことに賛成し、教会を荒らし、家々に入って、男も女も引きずり出し、次々に牢に入れるようなことをしていましたが、ダマスコの途上でイエス様から声をかけられ、やがて使徒としての働きをする者とされたのでした(使徒の働き7章60節-8章3節、使徒の働き9章1節―20節)。モーセもイスラエルの民のためにとりなしをされましたし(民数記14章1節―20節)、ヨブに至ってはヨブが三人の友のために祈るように主は仰せられたので、ヨブが友人のために祈ったとき、主はヨブの繁栄を元どおりにされただけでなくヨブの所有物もすべて二倍に増されたのでした(ヨブ記42章7節―10節)。今日の聖句が「罪に定めようとするのはだれですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、私たちのためにとりなしていてくださるのです。」と語っているように、イエス様が私たちのためにとりなしていてくださることを感謝するとともに、パウロが「そこで、まず初めに、このことを勧めます。すべての人のために、また王とすべての高い地位にある人たちのために願い、祈り、とりなし、感謝がささげられるようにしなさい。それは、私たちが敬虔に、また、威厳をもって、平安で静かな一生を過ごすためです。そうすることは、私たちの救い主である神の御前において良いことであり、喜ばれることなのです。(テモテへの手紙 第一2章1節―6節)」と勧めているように人々のためにとりなして祈ろうではありませんか。