2010年06月のメッセージ 榊原寛

自然の植物や生物、宇宙の神秘に、神の存在を知る


  新緑の5月が終わり、いまや梅雨のシーズンを迎えようとしています。蒸し暑く、べとべとした嫌な季節ではありますが、自然界にとっては、梅雨にぬれて、ますます青々して生き生きとなっていきます。
 梅雨に映えるアジサイはなかなか風情があります。こんなことを感じるようになったのは、年寄りの域に入ったという証拠かもしれません。
 ところで、賀川豊彦先生が次のようなことを書いておられます。

「植物を研究し、花を解剖し、その細胞を切開して染色素を取り出してみたところで、神様がわかるというのではない。我々はなおも、その一段奥に、その細胞の切開の奥に、不思議な支配力、法則、秘密の成長、伸び上がりのあることを気づくのでなければならない。
我々が宇宙の科学的研究によって知ろうとするところは、いわゆる自然法則の裏に、ぐんぐんと覗き込む宇宙の力、その姿を探し当てようというのにあるのだ。
ある人にとっては、二次、三次、五次の方程式や、複雑な係数は、単に、無味乾燥なものであるかも知れぬ。『まあ、よくあんな面倒な数の組み合わせをつくったものだ』と言って手をつけようとしない人にとっては、数学は永遠の謎として残るであろう。しかしながら、『完全なものの姿』にあこがれる者にとっては、数学も宇宙の秘密をさぐるひとつの有力な手がかりである。
我々はかくして科学実験室の中に、神の黙示を見、さらにまた、自然の姿に神のみ旨を探るのである。」

 かつて、生物学者が顕微鏡をのぞいてみると、あるいは天文学者が顕微鏡をのぞいてみると、そこに神の存在を感じないではいられないというようなことを言った人がいました。

聖書には、次のようなことばがあります。
「天は神の栄光を語り告げ、大空は御手のわざを告げ知らせる。」(詩篇19:1)

 私たちは人間の力や知恵では計り知れないことを「神秘」という言葉を使って表現します。したがって、自然の驚異とか自然の偉大さが礼拝の対象になったり、敬虔な思いでしめ縄を張ったりすることがあるわけです。しかし、あくまでもそれは神ではなく、神の創造のひとつに過ぎないわけです。
したがって、私たちは、日々の生活の中に、天地万物の造り主なる神の存在を信じ受け入れ、神に喜ばれる人生を生きようとする姿こそ、人としての正しい生き方であることが聖書に指摘されているわけです。

 フライデーナイトはそのような生き方を皆で求めている集会です。


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