2010年04月のメッセージ 榊原寛
命に躍動する日々を
4月4日は、世界のキリスト教会で最も大切でまた記念する日曜日です。それは、キリストが墓から甦った復活を記念する日だからです。
「死んだ人が墓石を転がして生き返った」などとは、神話であって、そんなものを信じているから宗教は嫌なんだと一蹴する方々も少なくはありません。
キリストの復活の証拠については、聖書の中からも歴史的にもいろいろな根拠を見出すことができますが、その議論はともかく、世界の人口が68億を超えている今、クリスチャン人口は21億人いるといわれています。その21億人の人々が記念する日曜日が今年は4月4日なのです。
キリストの生涯は言うまでもありませんが、最後の一週間でさえ、偶然の出来事ではなく、聖書に預言されたような出来事であり、キリスト自身が予測された出来事であったのです。キリストが十字架に貼り付けにされる前夜、弟子たちと最後の夕食をし、(最後の晩餐)後に、ユダの裏切りと先導によって捕縛され、徹夜に渡る裁判が行われた日。その裁判も大祭司カヤパのもとで宗教裁判、また当時のイスラエルはローマの属国になっていたため最終的には、総督ピラトの元での政治裁判と最終判決がなされました。
キリストが自身が受けようとする苦難に対して予知し、予測できていたとすれば、なぜキリストはそこから逃げようとされなかったのか。裁判においてもなぜ無罪を主張されなかったのか。人々がキリストに向かって悪口を言ったように、本当にキリストは神の子でもなければ救い主でもなく、単に無力なダメ男であったに過ぎないのか。そうであったか、それともご自分の使命を完全に遂行するための沈黙であり、彼らのするままに任せたのか。
「この苦き杯を飲まずに、私から過ぎ去らせたまえ」と血のような汗を流しながら神に祈ったキリストの祈りは、まさしく、身代わりのためであったのです。
全てを承知で十字架の苦しみを耐え抜いたのは、全ての人の罪の身代わりのために、神が下す全ての人への神の怒りと裁きを引き受けられた苦き杯だったのです。宗教家もローマの兵士たちも、群集も、偽救い主、偽神の子を十字架に抹殺したと勝利の雄たけびをあげていたとき、神と御子キリストは、全ての人類の身代わりを完成することができたことを確かめ、「全てが完了した」と十字架上で叫ばれたのです。この歴史的事実をあなたも確認してみてください。
キリストが復活したということにおいて、私たち全ての人類は、神の前に罪赦された者とされたのです。そればかりか復活の事実によって、死が死で終わりではなく、永遠の命への門口となったということが確証されたのです。
パウロが、キリストの復活によって「死は復活によって飲み込まれてしまった」つまり、復活は死に勝利したということです。4月は自然界が命に芽吹くように、私たちも復活の命に躍動する日々でありたいと願っています。
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