2010年02月のメッセージ 榊原寛
生かされて生きる
人の一生の間には、一度や二度、「死んでしまいたい」と思うようなことに遭遇する事があります。私が住んでいる埼玉県朝霞市には、陸上自衛隊朝霞駐屯地があります。その幹部部室で、東京オリンピックのマラソンで三位入賞、銅メダルをとった円谷幸吉選手が右頚動脈をかみそりで切って自殺しました。
その時、8位だった君原選手は、「私だって何度か死のうと思ったことがあります。それほどすごい重圧です。他人事とは思えません」と当時を述懐していました。4年後のメキシコオリンピックへの期待に反して、彼に襲ったのはアキレス腱の手術、椎間板ヘルニアの手術でした。「父上様、母上様、幸吉はもうすっかり疲れきって走れません」と遺書が残されていました。不屈の精神を持って走りぬいた42.195キロの彼でしたが、人生というマラソンを完走することができませんでした。現実の厳しさは、今日の若者に、団塊の世代の人生のベテランであると思われる人々に、容赦なく襲ってきます。
1998年より12年間、自殺者は3万人を下ることがありません。これは、3万の人口の町が一年間にポツンとなくなってしまうということです。
昨年は、32,753人でした。原因別では、うつ病など心の病やがんなど健康問題が35.4%と最も多かったようです。借金や失職など経済・生活問題は22.08%で、家族との不仲など家庭問題は6.4%でした。
「剣客商売」、「鬼平犯科帳」などで有名な作家、池波正太郎の「男の作法」というエッセイ集に、死について次のような文章がありました。
「『人間は死ぬ』という、この簡単な事実をできるだけ若い頃から意識することにある。もう、そのことに尽きるといってもいい。何かにつけてそのことを、ふっと思うだけで違ってくるんだよ。自分の人生が有限のものであり、残りはどれだけあるか。こればかりは神様でなきゃわからない、そう思えば、どんなことに対してもおのずから目の色が変わってくる。そうなってくると、自分のまわりのすべてのものが、自分をみがくための「みがき砂」だということがわかる。逆に言えば、人間は死ぬんだということを忘れている限り、その人の一生はいたずらに空転することになる。」
いつか、必ず死は絶対に誰にでもやってきます。いつか死ぬんだから、死にたいときに死ぬのが何が悪いと開き直るかもしれませんが、いつか必ず死ぬということと自分で自分の命を絶つというのとは全く違います。「生かされている」という事実を忘れてしまっているのです。これは神様と真剣に向かい合わないと分かりません。その時、「生きる」ことが始まります。
フライデーナイトは、生かされて生きている者が、神様と真剣に向き合って、なお生きていこうと励ましあう者たちが集まる場所です。
「神御自身、『わたしは、決してあなたから離れず、決してあなたを置き去りにはしない』と言われました。」(聖書)
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