2009年04月のメッセージ 榊原寛
永遠のいのちに生かされて生きる
4月は、大地から、木々から新芽が吹き出し、すべての生物は新しい命の誕生を迎え、躍動する時季です。
世界のキリスト教会と世界のクリスチャンは、4月を、2000年前キリストが私たちの代わりに十字架につけられ殺されたことを記念する日々として迎えます。また、三日目に墓よりよみがえられたことを祝うイースター、復活節を迎えます。キリストは言われました。「わたしはよみがえりであり、いのちです。わたしを信じる者は死んでもいきます」。キリストによる復活のいのちとは、死んだと思われたものが生き返るというような蘇生を意味するものではありません。また輪廻転生のような、前世でどのように生きたかによって、来世はなにものかに生まれ変わってくるというようないのちでもありません。
全く新しい、天に属する永遠のいのちを意味しています。
私たちのいのちは、死んで朽ちてゆくいのちではなく、たとえ身体は土に返すことがあっても、やがて与えられるキリストと同じ復活の栄光に輝いたものとして永遠に生きるいのちなのです。私たちはこの望みに生かされているから、地上にあってもすでに天のいのちに生かされて生きていると確信するものです。
ところで、キリストは本当によみがえったのでしょうか。そのようなことを信じることはおろかなのでしょうか。それでは、キリストは、よみがえらなかったという確かな証拠があったのでしょうか。キリストの十字架の死と復活後、すでに2000年を経ていますが、いまだにキリストは復活しなかったのだという証明がなされないまま来ているのです。
当時、復活したキリストに会った人々は、弟子たちでした。なお、500人以上の人々がいました。しかも、その人々が現に生きていました、と紀元50年代に書かれた聖書のコリント書にパウロは言及しています。そうだとすれば、もし復活などがなかったならば、聖書もキリスト教もこの時代に消滅していたでしょう。復活を起点として教会が生まれました。それまで安息日を土曜日として厳守していた人々が、復活のキリストを礼拝するために、日曜日を主の日として守るようになりました。これは単に日が変わったというのではなく、死活問題としての大きな変化だったのです。そして、新約聖書のすべては、キリストとほとんど同じ時代の人々が生きている時代に書かれているのです。
このような歴史的な証拠を並べることができたとしても、最後的に、“信じる”ということがなければ、理論とか理屈に過ぎないのです。弟子のトマスにキリストが言われたように、「あなたはわたしの手の傷やわき腹の槍の跡に手を入れてみなければ信じないと言いましたが、見ないで信じる人は幸いなのです」。
人間関係の最も重要なものは、「信じる」ことであるように、神との関係も「信じる」ことによって永遠のいのちと祝福はその人のものになるのです。
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